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tenohasiに路上生活当事者がボランティア参加している意義 上

 TENOHASIは、路上生活当事者と一般支援者が共に活動する形態を長くとりながら、そのことに関する議論がなぜか深まらない。メンバーの大半は、ただ両者が何となく仲良く一緒やっていければ、それで良いという思いで了解をしているのであろうか?
 しかし、私のようなタイプの人間は、それだけでは気持ちがすっきりと収まらない。そして今後とも両者の関係がうまく発展していくためには、なるべく具体的に問題提起することも必要かと思い、あえて当事者グループがボランティア活動に参加する意義を考えてみた。
 本来、ボランティア活動は援助主体と援助客体の関係が、シンメトリーであることが理想であると私は考えている。二者の関係は、強者が弱者を救済するというような上下の関係ではなく、彼らの痛みを共感できる並列の関係作りを目指すべきものと思う。
 このような横の関係の中でこそ、支援団体から受ける援助はスティグマ(恥辱的烙印)ではなくなる(ホームレスに対して差別的な考え方をするホームレスに対しては逆効果となるが)。それは活動家や専門家的な視点の援助ではなく、当事者の援助は同じ問題を持った、痛み/悲しみを共有(共感ではない)できる仲間としての援助になる。その意味において、当事者が「援助対象者」ではなく、「援助実践者」としてボランティア活動を行うことは、団体に様々な良い効果をもたらしてくれるのではないかと思っている。
 しかし、注意しなければならないことは、当事者が支援する立場になったときに「自分が「対象者」より上に立ったと勘違いするものが出ることである。これでは、当事者が「実践者」になる意義が失われてしまう。当事者は当事者のままで、同じ問題を抱えたものとして「対象者」に接することに良さがある。専門家のように、「対象者」をクライアント(相談者)としてみるのではなく、仲間として支え合うことに意義がある。

(路上のコラムニストX) 
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by tenohasi | 2006-09-26 23:28

tenohasiに路上生活当事者がボランティア参加している意義 中

当事者の望む援助が、団体の意志決定の段階において、団体メンバーとして議論に加わり、対等な一票として当事者の意見が反映されていく良さもある、従って当事者は、当事者感覚を失わずに活動に参加する姿勢が求められるだろう。
 団体の援助関係も、対象者ー実践者という一方通行の援助のみではなく、「対象者」が「実践者」になることによって、自分自身が抱える問題も、援助活動に参加しながら客観的に解決の糸口を見つけてゆく場になるのではないだろうか。団体の会議の中で討議される諸問題は同じ仲間の問題であると同時に、自分の問題でもあり、その問題解決に参加することは、自分の問題解決につながってゆく。
 その他にも当事者が「実践者」になることのメリットはある。多少宗教的な言い方になるが、それは「自発的意志を原則として、自分の中にある有形/無形のものを他人のために提供できる喜び」を体感できること。
 E・フロムの言葉を引用すればこうなる。
「自分の生命を与えることによって、人は他人を豊かにし、自分自身の生命感を高めることによって、他人の生命感を高める。もらうために与えるのではない。与えること自体が喜びなのだ」
 この考え方は、ボランティア活動の基本に近いと思っていて、私の好きな言葉の一つでもある。従ってボランティア活動に参加するためには、自分自身の生命感を高めなくてはいけないことになり、自分の生命感が衰えているときに「対象者」に接すると、対象者の生命感も衰えさせてしまう。自分も「対象者」も生命感が高まってゆくのが本来のボランティア活動であると思っている。
 このような意義づけに基付いて、当事者ボランティアの参加勧誘を意識的に行っていくことも、TENOHASIの支援活動に奥行きを与えることになるのではないだろうか?

(路上のコラムニストX)
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by tenohasi | 2006-09-25 00:20

tenohasiに路上生活当事者がボランティア参加している意義 下

 当事者と支援者が団体運営に対等に関わるためには、共通の情報(質・量とも)と、共通のコミュニケーションの場が必要になる。だが、E.メールや携帯等が日常化している現状では、会議の場での発言権・議決権は対等であっても、その前提環境は対等ではない。私もパソコンを使える場(1日30分限定)に巡り会うまでは、E.メールはもちろんだが、TENOHASIのホームページもブログも見たことはなかった。
情報を発信することについては、自分のパソコンを持てない生活環境では、現在も出来ないでいる。(註:この投稿は代理人が行っています)
 そのために私は、手書きの原稿をいつも書いている。しかし、発信の場が限られる。
ブログに投稿するにしても、ボランティア仲間の誰かに入力をしてもらわなければならない、ということが問題になる。
 また、当事者と支援者が対等に責務を負ってゆく上での障害は他にもある。
家もない、金もない、明日は寝る場所さえ失うかもしれない、という不安定な生活の中で、ボランティア活動に参加し、自分に課せられた責務を遂行することは、普通に生活が成立している人には想像しがたい困難が伴う。
 メンバー個々の能力に配慮して、うまく業務が配分できればよいのだが、当事者と一般生活者は生活レベル(社会的諸権利も含む)に差が極端にあるため、作業配分そのものが難易度が高いと言える。
 TENOHASIが今後も、当事者/支援者の区別なく、対等に責務を負って運営していくことを、団体の目標として目指すならば、以上のような当事者が活動に参加する上での長所・短所を考慮する事が必要であろう。
 このテーマは、TENOHASIが目指す試みとしての意義は十分にある。
団体を次のレベルに進めるために。

(路上のコラムニストX)
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by tenohasi | 2006-09-24 21:36

炊き出しに新記録

9月23日は第四週の炊き出し。

寒くなってきたので、急遽冬物衣料を配布しました。
これを待っていた方も多く、
段ボール箱10箱分くらいの衣類がきれいにはけました。

お茶会は、初期によく来てくださった方を久しぶりに見ることができて、
スタッフも喜び、

そして炊き出しは、それほど多くはならないだろうという予想に反して、
並ぶ列がどんどん長くなり、
最終的には337人。池袋の炊き出しの新記録を打ち立ててしまいました。
上野が祭りで炊き出しがなかったということも影響しているようですが、
夏の初めと比べると急速な増え方です。

景気が良くなったとはいっても、底辺はまだ薄日も差していません。

炊き出しのあと、映画「あしがらさん」の上映会を行いました。
この世界では有名なドキュメンタリー映画ですが、
現場スタッフは見てない人が過半数。

東京の人が東京タワーに行かないようなもので、
路上に生きていると、あしがらさんのような人は大して珍しくないのです。

でも、見た人は口々にあしがらさんと飯田監督、そして周りの人たちの関わりの熱さを語っていました。

来月は福祉行政の第一線で活躍する人をお招きして学習会を行います。
ぜひおいでください。


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by tenohasi | 2006-09-23 22:08

23日は炊き出しと衣服配布+あしがらさん上映会

みなさま。

台風が心配ですが、23日はたきだし・医療相談・お茶会に加えて、すっかり気温が下がってきましたので、冬物衣料の配布第一回を行います。

配布には人手が必要です。ぜひ、たくさんの方々のお手伝いをお願いします。

炊き出し後のtenohasi学習会は、ドキュメンタリー映画の名作・「あしがらさん」の上映会を行います。と言っても、上池袋コミュニティーセンター和室のテレビでの上映ですが。

まだ見ていない方。もう一度みたい方はふるってご参加ください。


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by tenohasi | 2006-09-22 01:10

衣服寄付のお願い

夏も終わり、だいぶ気温が下がってきました。
とたんにおからだの不調を訴える方が多いです。
夏の格好のまま、そとで寝泊りされている、高齢の方、一生懸命働いている方、病弱な方、
ひたすらに命をつないでいる方が多くいらっしゃいます。
今度の第4土曜日に衣類を配りたいと思います。
皆様からの協力をどうぞよろしくお願いいたします。

送り先などお問い合わせは
tenohasi@yahoo.co.jpまで

いただきたいもの
・長袖、長ズボン
・防寒具(ジャンパー、コート、オーバーズボン)
・ほっかいろ
・靴下
・下着(パンツ、シャツ、Tシャツ、ズボン下)
・運動靴
・ベルト
・毛布

今回遠慮させていただきたいもの
・スーツ類
・ワンピース、スカートなど
・おしゃれ用衣類(防寒や日常生活の意味で実用性の低いもの)
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by tenohasi | 2006-09-15 01:43

工場労働。

先日の福祉行動のときに出会った方のお話です。
その方(Aさん)は、今までいろいろな職業を転々とされてきた方でしたが、今年になってからはじめられたのが、工場での仕事でした。

Aさんは新聞広告で派遣会社の募集広告を見て応募されました。
仕事は寮付きでしたが、寮や報酬についての詳しい説明はなくすぐに仕事が始まりました。
仕事は様々な会社の製品の組み立てなどでしたが、きつい肉体労働でした。
重い部品の持ち運びで数日やっているとしばらく手の指を開いたり閉じたりすることが出来なくなってしまったと言っていました。

面白い話だから、とHさんはバッグからおもむろに給料明細をとり出し見せてくださいました。

寮費は約5万円。寮での食費が3万円。これは給料から差し引かれます。
部屋は寝る場所とテレビ1個が辛うじて収まる簡単な作りの小さい部屋でした。
最初の1ヶ月目は、週4-5日の仕事があり、寮での経費を差し引かれても10数万円の給料が残りました。ところが、2ヶ月目になると仕事は半分くらいに減り、次の月にはほとんど無くなりました。
給料明細を見ると、3ヶ月目の給料はマイナスになり、差額分を支払うように命じられるようになります。

「僕はホントのホームレスじゃないんだ」とその方は言いました。
(いったいわたしたちの「ホームレス」の定義ってなんでしょう?)

その方は住む場所を今は失っていますが、仕事は何とかずっとつなぎつなぎしてきて、まったくの失業状態、そして路上生活である状態は、仕事をしていないわずか数日、数週間の間のみでした。
(わたしたちには「路上生活」されている人たちがどう見えているでしょうか。)


以前、NHKで「ワーキングプア」(働いても働いても豊かになれない働く貧困層)をテーマにした番組が放映されて、大きな反響を呼んでいます。

一生懸命に働いている人たちが、働くほどにかえって貧しくされていくしくみがあります。


その方は言いました。
「どうしてそういう派遣会社が寮を持ってるか知ってる?寮でも儲かるからだよ。」
寮には200人を超える人が住んでいるようだった、と言います。
居つづけるほどに、働き続けるほどに、その場から抜け出すことが出来ずに20年近くいる人もいた、とのことです。

実はこんな仕事の話は珍しいことではありません。
建設現場の「ピンはね」の話は、池袋で出会うおじさんたちによくその経験を教えてもらいます。
「ホームレス」を自己責任論で語ってしまうことが多くありますが、わたし達の社会が、経済が、こんな形の使い捨て労働、そしてそれよりももっとひどい奴隷のような労働、搾取構造の上に成り立っていることを目を逸らさずに向き合ってわたしたちの活動の意味とか、生き方を問い直したいと思いました。

最近は、大手金融会社が債務者に生命保険を本人の知らないままにかけあの手この手で自殺に追い込んでいるという実態が新聞などで報道されていますが、現実はここまで、弱い立場にある人たちにたいして無関心などころかとことんその弱い立場を利用してしまうことが臆面もなく行われているものかとおどろき、みぶるいするほどの気持ちをおぼえます。

いったいその200人の行き先は・・。?そんな「寮」は日本にいくつあるの・・。??

お茶会のパンフレットには
「わたしたちの社会は「働いて、稼いで、より効率よく」と追求しすぎるあまり、何かを切り捨ててしまっているのかもしれません。」
とあります。

本当にそうだなぁと思います。

じゃあこうすればいい!という簡単な解決法はすぐには見つからないかもしれませんが切り捨てられてしまっている何かを見つめなおすことが、切り捨てられてしまっている場所での皆さんの懸命な生き様が、わたしたちに多くのことを示してくださっています。
気持ちが暗くなるばかりで悶々としていましたが、みなさんと分かち合いたく投稿しました。

いろんな考えや意見これからも教えてください。(az)
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by tenohasi | 2006-09-15 01:30