今回の話は、大分前に遡りますが、「てのはし」の医療相談での出来事です。
Aさん(50代)男性が、助けを求めるように、相談会にいらっしゃいました。 Aさんは医療相談では最初、体のだるさ、疲れやすさ、咳、不眠などを訴えてきましたので、内臓などの疾患が疑われ、内科的な処方の紹介状がかかれました。 その後、私のほうの福祉にかかる相談に移りましたが、どうにも落ち着きのなさや、大声で一方的にしゃべり続ける様子に、精神疾患の疑いを感じました。 病歴を聞くと、21歳で精神病院に入院し、その後は、入退院を繰り替えしていたそうです。病識は全くないようですが、どうも統合失調症のようでした。 最近まで精神病院に通院をしていたようです。精神障害者の手帳もあるようです。 Aさんの説明によると、90歳近い母親と姉との3人暮らしとの事でした。ところが、1ケ月前ほどに、家族にいじめられて家を飛び出し、乞食(ご本人の表現)なってしまったそうです。 服薬は中断しているので、当然、体調は悪く、攻撃的な口調にもなり、言うことも脈絡がはっきりしなくて、しかも、歯がないので、言っていること自体、よく聞き取りが出来ず、話を聞いているだけでも、聞いている方がぐったりしてしまう状態でした。 言動を観察してみると、絶えず水を飲み続けており、30分で1リットルの割合です。 勿論、トイレも頻繁です。物の言い方も、誰に対しても、命令口調で、我侭の振る舞いそのもです。人との間合いと言うものが全く取れません。 彼の障害は幼少の頃からのようで、恐らく、彼の障害に対処するにあたり、家族は彼に対し、躾はおろか、我侭三昧に扱ってしまったようで、人は彼のいうことを何でも聞く、と思ってしまっているという感じです。 これって、すごく難しいテーマですね。障害のある人に厳しすぎても症状を悪化させるし、そうかといって、子供が可哀想だとか、或いは、どのように扱っていいか分からなくて「なんでもOK」的な育て方をすれば、社会性が身につかず、長じて大きなしっぺ返しが待っていることになります。 さて、このような難しい人では私には手が負えません。ちょうど、そばに居合わせた精神科医に診断をお願いしました。やはり、統合失調症とのことで、早く病院に行かせて、出来れば入院がいいとのことで、精神科向けの紹介状を書いてい頂きました。 私のような福祉の相談者としてまず頭に浮かぶことは、「保護されて、どこかで入院を受けてくれればいいが、もし、通院となればどこかの施設に入る必要があるが、この人を受け入れてくれる施設は全くないだろう。 この人は集団生活もドヤのような個室も無理だ。結局は自分が抱え込むしかない」というような言い知れぬ恐怖感です。 長く福祉活動をしている間には、よくあることですが、福祉行政の限界に精通してくると、困窮者に遭遇した場合、行政の力を利用すれば何とかなるか、或いは、今の行政にはどうすることも出来ない、かがすぐに分かるようになります。 しかし、このケースは、それ以前の話として、彼が本当に保護の対象になるような境遇の人であるかが気になっていました。なぜかというと、彼の家はB区にあり、つい最近までそこで住んでいたということは、B区の住民ということになります。 B区の住民であれば、本来はB区の福祉事務所が管轄になります。しかし、家族から完全に追い出されてしまい、帰ることが出来ない状態であれば、現在地保護の原則から、こちらの区で保護をすることは可能です。 彼はそこで家族のいじめを受けて出されてしまったと言っていましたが、ご家族の人の話も聞かないと本当のことは分かりません。彼の話では、家は貧乏で電話がないとのことでした。 その日は土曜日でしたので、福祉へお連れするのは月曜日になりますが、彼に関する客観的な情報が余りに希薄すぎて、このまま、福祉事務所に行っても、福祉の職員も困ってしまします。 第一、曲がりなりにも私も支援者である以上、もう少し、彼の情報を集めて、しかる後に、福祉にお連れすべきと考えました。そうでないと、福祉との信頼関係も維持できません。 そこで、次の日曜日に彼の住所を手がかりに、ご家族を探しに行きました。私には彼の家は一軒家という思い込みがあり、3時間もかかりましたが、ついに分かりませんでした。 後から分かったことですが、住所は正しかったのですが、アパートだったため、私の調査は挫折したようでした。 仕方ないので、月曜日にぶっつけ本番で臨みました。勿論、それまでに聞き取った内容は情報提供書にまとめてありました。 福祉事務所も彼をみてちょっとびっくりしたようですが、私は医療班のボランティア医師の紹介状を見せながら保護までの経緯を説明しました。 福祉事務所も会話がうまく成り立たないAさんに対し、聞き取りが思うように出来ず苦慮していましたが、私が病院への付き添いなどのフォローをするとの前提で、すぐに保護を受理して、取り敢えず、処遇の検討に入りました。 まず、最初に、彼の所持していた精神病院の診察券をもとに、職員が電話をかけ、家族のことを聞きましたが、病院は守秘義務jがあり、答えられないとのことでした。 診察の予約は受けてくれましたが、彼の主治医の日がいいだろうとのことで、2日後になりました。 それまでの間、旅館代は福祉が払うが、旅館を探すのと彼の面倒をみるのは私の役目になりました。旅館を探すと言うことは、旅館で何かあればその責任は当然私が負うことになります それだけに、私には大きな不安がありました。果たして旅館に2日間、一人でおとなしくしているかどうか見当もつきません。 ひょっとして、問題行動を起こして出されてしまうとか、或いは、旅館に何らかの損害を与えるようなことをして、私が弁償の責を負う事になるとかです。 実は私にはこの旅館とのお付き合いが長く、極端にいうと、どんな人でも泊めてくれました。しかし、直近で続けて2回ほど、かなりの迷惑を掛けてしまいました。 その一つは、認知障害のある女性が部屋のゴミ箱におしっこをしてしまいました。さすがに大騒ぎになり、今後のことを考えて、私がやむなく弁償を申し出ました。 しかし、旅館の女将がいい人で、「中村さんにはいつもお客さんを連れてきてもらっていますから」と言って勘弁してくれました。 しかし、その後は、さすがに、審査が厳しく、私としてもある程度間違いないと思える人しか連れて行けなくなりました。しかし、Aさんは明らかに間違いがある人でした。 Aさんは水を飲み続けるせいもありますが、すごい頻尿で、間に合わない時は道で立小便をします。それも、道路の真ん中でしょうとします。 ですから、私としては爆弾をかかえるようなものですが、まあ、しかし、私は、その時はその時だと腹を括って旅館に向っていました。 しかし、その途中で、、役所から電話があり、彼のお姉さんが役所に6時に彼を迎えにくることになったので、その時間に彼を連れてきて欲しいとのことでした。病院経由でお姉さんに連絡が行ったようです。 このことは、私は、半分期待していたことであり、半分は恐れていたことです。 期待していたことは、彼にはちゃんとした家族があり、今回はたまたま何かの行き違いで、彼が失踪しただけで、いつでも元の鞘に収まることが可能なケースです。 一方、恐れていたことは、彼のお姉さんが福祉に扶養義務云々などと言われ、嫌々ながら引き取りにきた場合です。このようなケースであれば、何の解決にもならず、同じことがまた起きるだけです。 さて、期待と恐怖の交錯する思いを胸に秘めながら、彼を連れて6時に役所に行きました。勿論、彼にはお姉さんのことは一切、言っていません。 役所に着くや、担当職員が私と彼を相談室に案内しました。その後、すぐにお姉さんが来たようで、私だけが呼ばれて別の場所でお姉さんにお目にかかりました。 お姉さんはとても感じのいい方で、優しそうでした。一通り今までの経緯を説明しながら私が感じたことは、高齢のお母さんと障害のある弟を支える為に必死に働いており、福祉の制度や行政の支援などには全く疎い人のように思えました。 というか、働くこと意外に頭が働かないように見えました。というより、働く以外に時間の余裕がまったくないようでした。 お姉さんは大企業にお勤めのようで、家族の生活を支えるための収入はそこそこあるようで、その分、弟を障害者福祉の制度に乗せるような発想が起きなくて、全部、一人で抱えている人のようでした。 それでも、ニコニコしながら「ご迷惑をおかけしました」と方々へ頭を下げているお姉さんの姿をみていると、私としては「この方は何と重い荷物を背負っている人だろう。」とひたすら同情心が湧いてきました。 さて、いよいよお二人の面会になるのですが、私の関心は、迎えに来たお姉さんに会ったときの彼の反応がどのようなものかということでした。 ひょっとしたら、修羅場になるのかもしれませんし、少なくとも、いじめや虐待でも受けていれば、反射的に逃げ出すか、憎悪の言葉が行き交うかもしれません。 職員がお姉さんを彼の居る相談室に案内して行きました。私もすぐ後について行きました。 職員が部屋のドアを開けて、お姉さんに入るように促しました。その瞬間、お姉さんと彼との視線が合いました。その視線は冷たい火花でなく、春のような暖かいものでした。 驚いたことに、本当に驚いたことに、何も言葉を交わすことなく、ただ、お姉さんが「帰ろう」と声を掛けると、彼はすっと立ち上がって、当たり前のようにお姉さんについて歩き出しました。 彼の歩き振りはどこか軽やかで浮き浮きした感じでした。 私もお二人と一緒に役所から出て、外でしばらく立ち話をしていました どうやらいじめとか家を出されたというのは嘘のようでした。 コーヒーにお砂糖をたくさんいれると体によくないとのお姉さんの心配でお砂糖をダメと言ったこと。 また、彼は一日タバコを40本吸っていますが、タバコの本数を抑えるためにお金を渡さなかったことなどがあったようです。 このようなお姉さんの思いやりが、障害のある彼にはいじめに思えたようです。 アパートは昼間は鍵を掛けていなくて、彼が自由に出入りできるようにして、お金も持って行けるようになっていたそうです。 私はお姉さんにB区の保健所に行き、自分の家の実情をよく説明して、何らかの支援をお願いするように言いました。 そして、デイケア、グループホーム、保健師さんの支援、ヘルパー、作業所への通所など、具体的な相談をお勧めしました。 病院も今度だけでも付き添って、先生に症状をお姉さんから説明し、出来れば入院させてもらい、その間に、彼の今後の生活設計をじっくり考えたらどうでしょうかと言いました。 お姉さんは私の話をよく聞いて下さって、「今まではそのようなことを考えたことがありませんでした。会社の休暇日数もありますので、いろいろ研究してみます」と言いました。 私は、お姉さんへ私の電話番号を教えていつでも相談して下さいといって、別れました。 日本の福祉の制度は必ずしも、完成度の高いものではないと思いますが、それでも、その制度をよく知って、利用していればまだしも何とかなると思います。 しかし、このAさんのお姉さんのケースのように、制度すら知らず、全部自分で背負い込んでいる家族もまだまだ随分いるのかもしれません。 それにしても、今、思い出すと、Aさんはどこか憎めない人で、とても甘え上手でした。きっと、あのお姉さんの愛情をたっぷりもらっていたせいだと思います。 しかし、悲しいかな、家族を支えるために、必死に働かなくてはならなかったお姉さんには、障害のある弟を手厚くフォローするための時間も心の余裕もなかったのに違いありません。誰がこのお姉さんを責めることが出来るでしょうか。 願わくば、今回の事件を契機に、福祉の制度を上手に利用出来るようになって、お姉さんの重荷が少しでも軽くなるのを祈る気持ちです。 少し、経ってから、Aさんの家に行ってみようと思います。お二人の間のあの暖かい絆が私の心に焼きついてはなれません。 以上です。 その後の状況ですが、Aさんは病院に行く日の前に、また、失踪したそうです。かなりの額のお金を持って出たようでお金を使い切ったら帰って来るように思うとお姉さんは仰っていました。 私はその話を聞いて、お姉さんのお宅に伺いました。少しでもアドバイスが出来ればと思いました。 お姉さんは結構細かくご家庭の事情などを話して下さいましたが、余りに複雑な要素が絡み合っているようで 私のような他人がこれ以上、介入しても何の力にもなれないことを思い知らされました。 私は、「何かあればいつでもご連絡ください」と言い残して、お姉さんのお宅を後にしましたが、内心、「もはや、これまで」という気持ちに押しつぶされそうでした。 幸せな家庭が不幸になるということはよくあるかと思います。しかし、ドン底に落ちきったような家庭が再び、幸せになることはほとんど不可能だろうという現実の前に気持ちが滅入るばかりでした。 人間は一つや二つの不幸では、ドン底まではなかなか落ちないでしょうが、その不幸の要素がいくつにも重なり、絡み合うと、もうどうにもなりません。 お姉さんから聞いた話の詳細は言えませんが、そんな感じということで、後味の悪いままに、「福祉の窓」を閉めたいと思います。 福祉班 N
by tenohasi
| 2009-07-03 12:53
| 福祉の窓
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