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生活保護引き下げの動きについて皆さまご存知の通りですが、
「住宅扶助」引き下げの動きについて、 フリーランスライターで、「生活保護のリアル」著者 「みわよしこ」さんが、 「DIAMOND on line」にて著述されておられます。 ≪困窮者「自立」のために生活保護の「住」が犠牲に? 住宅扶助引き下げがどうしても必要な厚労省の事情 ≫ 社会保障審議会・生活保護基準部会では、 住宅扶助に関する議論が続いている。 今回は、2014年5月30日に行われた議論を紹介する。 住宅扶助基準を設定するにあたって必要な調査は、 どのように行われるのだろうか? そもそも何のために、住宅扶助の引き下げが必要なのだろうか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 上記記事内容のURLは下記の通りです。 https://t.co/redirect?url=http%3A%2F%2Ft.co%2FxBScgvvc54&t=1&sig=abca429702e550d3be2e88cbf935292d2b3eee2f&iid=a061f150766e4d01808221bdc10ff5ec&uid=1521410984&nid=12+288+20140605 以上ご紹介申し上げる次第です。 事務局 ▲
by tenohasi
| 2014-06-09 20:20
| 福祉の窓
今回の話は、大分前に遡りますが、「てのはし」の医療相談での出来事です。
Aさん(50代)男性が、助けを求めるように、相談会にいらっしゃいました。 Aさんは医療相談では最初、体のだるさ、疲れやすさ、咳、不眠などを訴えてきましたので、内臓などの疾患が疑われ、内科的な処方の紹介状がかかれました。 その後、私のほうの福祉にかかる相談に移りましたが、どうにも落ち着きのなさや、大声で一方的にしゃべり続ける様子に、精神疾患の疑いを感じました。 病歴を聞くと、21歳で精神病院に入院し、その後は、入退院を繰り替えしていたそうです。病識は全くないようですが、どうも統合失調症のようでした。 最近まで精神病院に通院をしていたようです。精神障害者の手帳もあるようです。 Aさんの説明によると、90歳近い母親と姉との3人暮らしとの事でした。ところが、1ケ月前ほどに、家族にいじめられて家を飛び出し、乞食(ご本人の表現)なってしまったそうです。 服薬は中断しているので、当然、体調は悪く、攻撃的な口調にもなり、言うことも脈絡がはっきりしなくて、しかも、歯がないので、言っていること自体、よく聞き取りが出来ず、話を聞いているだけでも、聞いている方がぐったりしてしまう状態でした。 言動を観察してみると、絶えず水を飲み続けており、30分で1リットルの割合です。 勿論、トイレも頻繁です。物の言い方も、誰に対しても、命令口調で、我侭の振る舞いそのもです。人との間合いと言うものが全く取れません。 彼の障害は幼少の頃からのようで、恐らく、彼の障害に対処するにあたり、家族は彼に対し、躾はおろか、我侭三昧に扱ってしまったようで、人は彼のいうことを何でも聞く、と思ってしまっているという感じです。 これって、すごく難しいテーマですね。障害のある人に厳しすぎても症状を悪化させるし、そうかといって、子供が可哀想だとか、或いは、どのように扱っていいか分からなくて「なんでもOK」的な育て方をすれば、社会性が身につかず、長じて大きなしっぺ返しが待っていることになります。 さて、このような難しい人では私には手が負えません。ちょうど、そばに居合わせた精神科医に診断をお願いしました。やはり、統合失調症とのことで、早く病院に行かせて、出来れば入院がいいとのことで、精神科向けの紹介状を書いてい頂きました。 私のような福祉の相談者としてまず頭に浮かぶことは、「保護されて、どこかで入院を受けてくれればいいが、もし、通院となればどこかの施設に入る必要があるが、この人を受け入れてくれる施設は全くないだろう。 この人は集団生活もドヤのような個室も無理だ。結局は自分が抱え込むしかない」というような言い知れぬ恐怖感です。 長く福祉活動をしている間には、よくあることですが、福祉行政の限界に精通してくると、困窮者に遭遇した場合、行政の力を利用すれば何とかなるか、或いは、今の行政にはどうすることも出来ない、かがすぐに分かるようになります。 しかし、このケースは、それ以前の話として、彼が本当に保護の対象になるような境遇の人であるかが気になっていました。なぜかというと、彼の家はB区にあり、つい最近までそこで住んでいたということは、B区の住民ということになります。 B区の住民であれば、本来はB区の福祉事務所が管轄になります。しかし、家族から完全に追い出されてしまい、帰ることが出来ない状態であれば、現在地保護の原則から、こちらの区で保護をすることは可能です。 彼はそこで家族のいじめを受けて出されてしまったと言っていましたが、ご家族の人の話も聞かないと本当のことは分かりません。彼の話では、家は貧乏で電話がないとのことでした。 その日は土曜日でしたので、福祉へお連れするのは月曜日になりますが、彼に関する客観的な情報が余りに希薄すぎて、このまま、福祉事務所に行っても、福祉の職員も困ってしまします。 第一、曲がりなりにも私も支援者である以上、もう少し、彼の情報を集めて、しかる後に、福祉にお連れすべきと考えました。そうでないと、福祉との信頼関係も維持できません。 そこで、次の日曜日に彼の住所を手がかりに、ご家族を探しに行きました。私には彼の家は一軒家という思い込みがあり、3時間もかかりましたが、ついに分かりませんでした。 後から分かったことですが、住所は正しかったのですが、アパートだったため、私の調査は挫折したようでした。 仕方ないので、月曜日にぶっつけ本番で臨みました。勿論、それまでに聞き取った内容は情報提供書にまとめてありました。 福祉事務所も彼をみてちょっとびっくりしたようですが、私は医療班のボランティア医師の紹介状を見せながら保護までの経緯を説明しました。 福祉事務所も会話がうまく成り立たないAさんに対し、聞き取りが思うように出来ず苦慮していましたが、私が病院への付き添いなどのフォローをするとの前提で、すぐに保護を受理して、取り敢えず、処遇の検討に入りました。 まず、最初に、彼の所持していた精神病院の診察券をもとに、職員が電話をかけ、家族のことを聞きましたが、病院は守秘義務jがあり、答えられないとのことでした。 診察の予約は受けてくれましたが、彼の主治医の日がいいだろうとのことで、2日後になりました。 それまでの間、旅館代は福祉が払うが、旅館を探すのと彼の面倒をみるのは私の役目になりました。旅館を探すと言うことは、旅館で何かあればその責任は当然私が負うことになります それだけに、私には大きな不安がありました。果たして旅館に2日間、一人でおとなしくしているかどうか見当もつきません。 ひょっとして、問題行動を起こして出されてしまうとか、或いは、旅館に何らかの損害を与えるようなことをして、私が弁償の責を負う事になるとかです。 実は私にはこの旅館とのお付き合いが長く、極端にいうと、どんな人でも泊めてくれました。しかし、直近で続けて2回ほど、かなりの迷惑を掛けてしまいました。 その一つは、認知障害のある女性が部屋のゴミ箱におしっこをしてしまいました。さすがに大騒ぎになり、今後のことを考えて、私がやむなく弁償を申し出ました。 しかし、旅館の女将がいい人で、「中村さんにはいつもお客さんを連れてきてもらっていますから」と言って勘弁してくれました。 しかし、その後は、さすがに、審査が厳しく、私としてもある程度間違いないと思える人しか連れて行けなくなりました。しかし、Aさんは明らかに間違いがある人でした。 Aさんは水を飲み続けるせいもありますが、すごい頻尿で、間に合わない時は道で立小便をします。それも、道路の真ん中でしょうとします。 ですから、私としては爆弾をかかえるようなものですが、まあ、しかし、私は、その時はその時だと腹を括って旅館に向っていました。 しかし、その途中で、、役所から電話があり、彼のお姉さんが役所に6時に彼を迎えにくることになったので、その時間に彼を連れてきて欲しいとのことでした。病院経由でお姉さんに連絡が行ったようです。 このことは、私は、半分期待していたことであり、半分は恐れていたことです。 期待していたことは、彼にはちゃんとした家族があり、今回はたまたま何かの行き違いで、彼が失踪しただけで、いつでも元の鞘に収まることが可能なケースです。 一方、恐れていたことは、彼のお姉さんが福祉に扶養義務云々などと言われ、嫌々ながら引き取りにきた場合です。このようなケースであれば、何の解決にもならず、同じことがまた起きるだけです。 さて、期待と恐怖の交錯する思いを胸に秘めながら、彼を連れて6時に役所に行きました。勿論、彼にはお姉さんのことは一切、言っていません。 役所に着くや、担当職員が私と彼を相談室に案内しました。その後、すぐにお姉さんが来たようで、私だけが呼ばれて別の場所でお姉さんにお目にかかりました。 お姉さんはとても感じのいい方で、優しそうでした。一通り今までの経緯を説明しながら私が感じたことは、高齢のお母さんと障害のある弟を支える為に必死に働いており、福祉の制度や行政の支援などには全く疎い人のように思えました。 というか、働くこと意外に頭が働かないように見えました。というより、働く以外に時間の余裕がまったくないようでした。 お姉さんは大企業にお勤めのようで、家族の生活を支えるための収入はそこそこあるようで、その分、弟を障害者福祉の制度に乗せるような発想が起きなくて、全部、一人で抱えている人のようでした。 それでも、ニコニコしながら「ご迷惑をおかけしました」と方々へ頭を下げているお姉さんの姿をみていると、私としては「この方は何と重い荷物を背負っている人だろう。」とひたすら同情心が湧いてきました。 さて、いよいよお二人の面会になるのですが、私の関心は、迎えに来たお姉さんに会ったときの彼の反応がどのようなものかということでした。 ひょっとしたら、修羅場になるのかもしれませんし、少なくとも、いじめや虐待でも受けていれば、反射的に逃げ出すか、憎悪の言葉が行き交うかもしれません。 職員がお姉さんを彼の居る相談室に案内して行きました。私もすぐ後について行きました。 職員が部屋のドアを開けて、お姉さんに入るように促しました。その瞬間、お姉さんと彼との視線が合いました。その視線は冷たい火花でなく、春のような暖かいものでした。 驚いたことに、本当に驚いたことに、何も言葉を交わすことなく、ただ、お姉さんが「帰ろう」と声を掛けると、彼はすっと立ち上がって、当たり前のようにお姉さんについて歩き出しました。 彼の歩き振りはどこか軽やかで浮き浮きした感じでした。 私もお二人と一緒に役所から出て、外でしばらく立ち話をしていました どうやらいじめとか家を出されたというのは嘘のようでした。 コーヒーにお砂糖をたくさんいれると体によくないとのお姉さんの心配でお砂糖をダメと言ったこと。 また、彼は一日タバコを40本吸っていますが、タバコの本数を抑えるためにお金を渡さなかったことなどがあったようです。 このようなお姉さんの思いやりが、障害のある彼にはいじめに思えたようです。 アパートは昼間は鍵を掛けていなくて、彼が自由に出入りできるようにして、お金も持って行けるようになっていたそうです。 私はお姉さんにB区の保健所に行き、自分の家の実情をよく説明して、何らかの支援をお願いするように言いました。 そして、デイケア、グループホーム、保健師さんの支援、ヘルパー、作業所への通所など、具体的な相談をお勧めしました。 病院も今度だけでも付き添って、先生に症状をお姉さんから説明し、出来れば入院させてもらい、その間に、彼の今後の生活設計をじっくり考えたらどうでしょうかと言いました。 お姉さんは私の話をよく聞いて下さって、「今まではそのようなことを考えたことがありませんでした。会社の休暇日数もありますので、いろいろ研究してみます」と言いました。 私は、お姉さんへ私の電話番号を教えていつでも相談して下さいといって、別れました。 日本の福祉の制度は必ずしも、完成度の高いものではないと思いますが、それでも、その制度をよく知って、利用していればまだしも何とかなると思います。 しかし、このAさんのお姉さんのケースのように、制度すら知らず、全部自分で背負い込んでいる家族もまだまだ随分いるのかもしれません。 それにしても、今、思い出すと、Aさんはどこか憎めない人で、とても甘え上手でした。きっと、あのお姉さんの愛情をたっぷりもらっていたせいだと思います。 しかし、悲しいかな、家族を支えるために、必死に働かなくてはならなかったお姉さんには、障害のある弟を手厚くフォローするための時間も心の余裕もなかったのに違いありません。誰がこのお姉さんを責めることが出来るでしょうか。 願わくば、今回の事件を契機に、福祉の制度を上手に利用出来るようになって、お姉さんの重荷が少しでも軽くなるのを祈る気持ちです。 少し、経ってから、Aさんの家に行ってみようと思います。お二人の間のあの暖かい絆が私の心に焼きついてはなれません。 以上です。 その後の状況ですが、Aさんは病院に行く日の前に、また、失踪したそうです。かなりの額のお金を持って出たようでお金を使い切ったら帰って来るように思うとお姉さんは仰っていました。 私はその話を聞いて、お姉さんのお宅に伺いました。少しでもアドバイスが出来ればと思いました。 お姉さんは結構細かくご家庭の事情などを話して下さいましたが、余りに複雑な要素が絡み合っているようで 私のような他人がこれ以上、介入しても何の力にもなれないことを思い知らされました。 私は、「何かあればいつでもご連絡ください」と言い残して、お姉さんのお宅を後にしましたが、内心、「もはや、これまで」という気持ちに押しつぶされそうでした。 幸せな家庭が不幸になるということはよくあるかと思います。しかし、ドン底に落ちきったような家庭が再び、幸せになることはほとんど不可能だろうという現実の前に気持ちが滅入るばかりでした。 人間は一つや二つの不幸では、ドン底まではなかなか落ちないでしょうが、その不幸の要素がいくつにも重なり、絡み合うと、もうどうにもなりません。 お姉さんから聞いた話の詳細は言えませんが、そんな感じということで、後味の悪いままに、「福祉の窓」を閉めたいと思います。 福祉班 N ▲
by tenohasi
| 2009-07-03 12:53
| 福祉の窓
真冬の厳しい季節に、A君(30代)は駅の階段に一人で淋しそうに座っていました。凍てつくようなコンクリートの階段に座って震えていたA君に「てのはし」の夜回りのメンバーが声を掛けました。
そして、翌朝、「てのはし」の福祉班のメンバーが同行して、福祉事務所で保護を受けることが出来ました。 保護関連施設はどこもいっぱいということが幸いして、山谷のドヤの個室に入ることが出来ました。 A君は一見すると、「どこかボ-とした感じで、いつも不安そうで、ちょっと変な人」という印象でした。それでも話してみると、「とても素直でフアーとした」感じで、全く存在感のない人でした。どこか、純情な中学生のような雰囲気が漂う人でもありました。 精神遅滞があるようでしたが、話す内容は筋道が通っており、知的障害の領域までには行っていないようでもありました。むしろ、精神面で神経症的な問題があるように思えました。 さて、大変なことに、私はこのA君を何とかしなくてはならない役割が廻ってきて、すっかり頭を抱えてしまいました。 何故、大変かというと、A君はどっちにしても中途半端な存在で、ホームレスとして路上で逞しく生きて行く事は到底無理であり、そうかといって、この激しい競争社会で自立することなどもっと無理なように思えたからです。 更に私を悩ましたのは、彼の知的レベルも障害者として認定されるほどでもなく、また、精神障害として病名がつく程でもなく、要するに、すべてに中途半端なボーダーラインに位置し、福祉行政の狭間にすっぽりはまり込んでいたことでした。 もし、A君がちゃんとした家庭があり、家族に支えられて生きて行けるようであれば、この程度の障害はさして問題ではないかもしれません。しかし、A君は田舎の実家に居れなくなって、当てもなく東京に出てきた、帰る当のない路上の単身者でした。 保護をされているとはいえ、肉体的に健康な青年であれば、保護は一時的で、早く仕事を見つけて自立することが要求されてしまいます。 実際に、彼を担当したCWの処遇は、更正施設の空きを待って、そちらに移し、就労活動を開始させることでした。 私は、時間との競争と思い、すぐに、彼の成育歴の聞き取りに取り掛かりました。 そこで分かったことは、子供の頃から、のろいとか勉強が出来ないとかでいじめにあっており、特に対人恐怖が強く、人前に出られませんでした。 何かトラブルが生じると人と対立するのが怖くすぐに自分から身を引いてしまい、友達もいない淋しい生活を送っていました。その間、いくつもの深刻なトラウマを抱えるような過酷な体験を重ねたようです。 高校を出てから地元の工場で働きましたが、仕事がおそいとか、すぐに間違えるとかで、2年程でやめざる得なくなり、それ以来、13年間も引きこもりの生活を過ごしていました。しかし、引きこもり中は、近くに住むヤクザ系の親戚の暴力が酷くなって、遂に、命からがら逃げ出すように東京に出てきました。 13年間も引きこもりをしていた人が、ぽっと都会に出てきてもどうすることも出来ず、あっと間に、ホームレスになってしまいました。不幸を絵に描いたような悲惨な足取りでした。 しかし、驚いたことに、これほど惨めな人生を送りながらも、彼は素直で優しく、しかも困った人がいるとすぐに手を伸ばすような人でした。 私は自分が支援している人をもっと知るために、よく我が家に連れてきて一緒に食事をしてみます。 食事のマナーをみると、大体、子供の頃の躾がどうであったかすぐに分かるものですが、彼の礼儀の正しさは母親の躾にあるようでしたし、彼の優しさは、母親の愛情を十分受けて育ったせいだと見受けられました。 私は彼に対する応援の気持ちが段々に情熱に変わって行くのを感じていました。 私はA君をいろいろな角度から観察しながら、どうやって社会へ戻せるか悩みに悩みました。そこで出した結論が、まず、ダメ元でもいいから、知的障害者としての判定を受けることでした。 認定を受けて手帳が取得されれば、障害者として行政の手厚い処遇を受けることが出来ます。就労も障害者でも出来るような簡単な仕事に就いて生活が出来るようになります。 もし、手帳がダメであれば、次善の策として、精神障害の治療を受けて、彼の対人恐怖や不安障害を取り除き、少しでも、社会への適応能力を高めることしか出来ません。 もっとも、どれだけの効果があるかは分かりません。 A君の担当のCWに、知的障害者としての申請をお願いしたら、気持ちよく、了解してくれて、すぐに東京都心身障害者福祉センターに申し込みしてくれました。面接日は1ケ月後になりました。 面接には、本来、子供の頃の生育時の状況を説明出来る身内が立ち会うのが条件でしたが、彼のお母さんは重い病気で療養中で、立会いに東京まで出てくるのは不可能でした。 そこで、私が身内の代わりに立ち会うことをCWにお願いしたところ、ありがたいことに、私を信用して、すべて任せてくれるとのことでした。 私は1ケ月後に備えて、彼と何回も面接を重ね、また、田舎のご両親とは電話で何度か聞き取りをさせてもらいました。彼のお母さんは、純朴そのものの印象で、彼のほのぼのとした性格がよく理解出来る思いでした。 また、彼を連れて、障害者福祉の専門家を何人も訪ね、色々と相談にのってもらい、彼の障害のレベルと質をより正確に捉えることに努めました。 専門家はA君をみて、「知的障害にまで行くかな?」という意見が多かったので、私としても段々暗い気持ちになってしまいましたが、私の気持ちを支えてくれたのは、私の過去の経験でした。 私は、今までもこのように、障害者としての認定は、多分、難しいだろうと思えるケースを何度か経験していましたが、どういうわけか、「障害者センター」の判定ではいつも知的レベルの数字(IQ)は自分たちが予想したより、はるかに低い数字が出ていました。 ですから、私には不安の中にも、内心、一縷の望みがありました。 この一縷の望みを持って、私はせっせと「情報提供書」や「聞き取り票」を作成して行きました。また、そのような書類の内容を裏付ける子供の頃の成績表も、病身のお母さんが必死に探して下さって何とか20年も前の中学校の通信簿が入手出来ました。 「てのはし」のボランティア医師の「紹介状」も添付しました。 さて、万端整って、その日を迎えました。面接開始時間は9時半です。 緊張の塊のようなA君は既に上気した顔で私にぴったりくっ付いて離れません。 私はA君に「このテストは出来なければ出来なくたってかまわないから、気楽に行けばいいよ」と言っても、そもそも、このテストは何かという理解がよく出来ないA君には緊張が高まるばかりでした。 人前で話すとか、面接のようなことには病的な不安感を持っていますし、13年間も引きこもりをして、世事に疎くなったしまった彼の心を思うと無理もありません。 13年間も洞穴で生活していた人間が、急に明るい場所に出て来ても戸惑うばかりという感じでた。 9時半から1時間、担当者の面接がありました。私も同席して色々と意見を聞かれましたが、メインは勿論、A君です。私の提出した「情報提供書」や「聞き取り票」の内容を確かめるように、次々と質問をして行きました。 その後、「心理検査」ということで、担当者とA君が部屋に残り、IQのテストを受けました。 私は病院の廊下のようなベンチに座って終わるのを待っていました。 50分程度で、A君がぐったりして出てきて、私のいるベンチに倒れこむようにして座りこみました。 私が「お疲れさん。どうだったの?」と聞くと、彼は、「難しくて出来なかった。緊張して汗が出て来て体が震えてしまった」と答えました。 私が、「出来なかったら出来ないでいいんだよ」と慰めながら、内心では、「そうか、出来なかったか。これでチャンスはあるな」と喜んでいました。 次はいよいよ最終コースの精神科のドクターの面接になります。 しかし、彼の手には担当者から渡されたバインダーにはさまれた「愛の手帳取得申請書」という一枚の紙がありました。私が、「これ何?」と聞くと、「これに記入しておくように言われた」とのことでした。 私は思わず、「ヤッター」と内心で叫んでしまいました。この書類に記入するということは、早い話、「内定」のようだと思い、思わず胸にこみ上げる熱いものを感じてしまいました。 それからすぐに、精神科医の面接が始まり、そこには私も同席させてくれました。 いろいろ問診を行っている中で、彼の図形の読み取り能力がすぐれているとのことで、医師は、「私は2000人からの面接をしていますが、この問題が出来た人は初めてです、すごいですよ」と褒めていました。 それを聞いて、私は「もう、これでダメだ」とがっくり来てしまいました。その後、また、廊下でしばらく待たされていました。 私の心は、「一体どっちなんだろう」と期待と不安の交錯する中で、イライラしていました。 A君はというと、「一刻も早くこの場から消えてしまいたい」という雰囲気でした。 まもなく、最初の面接室から、「お入りください」と言われ、私と彼は恐る恐る入室しました。先ほど記入した申請書が机の上にありましたが、その書類には受付済みのような判子があるのが見えました。 担当者が、「A君は軽度の知的障害者としての判定が出ました」とさらっと言いました。 担当者にしてみれは、毎日、同じようなことをしているので、特別な感慨はないと思いますが、私にしてみればは、「A君の一生がかかっている」だけに、その担当者の声は「天の声」に聞こえました。 一通りの手続きが終わったあと、担当者(多分、臨床心理士)にいくつか質問をしてみました。「彼の知的レベルは結構高いように思われたのですが、実際はどうなんでしょうか?」と聞くと、「彼の能力はすごいバラツキが大きいのですが、平均すると軽度の領域になりま す」と担当者はいろいろと説明してくださいました。 また、「彼がもう少し、リラックスできれば、少しはよかったかもしれませんが、何ともいえないですね」というようなことも仰いました。 本来的に言えば、障害者として認定されることは、大いなる不幸であるべきですが、しかし、人間はこの世に生を受けた限り、寿命までは生きていかなくてはなりません。 障害があって生きて行くことが困難な人に対し、少しでも困難を取り去り、生き易くするために国が援助の手を差し伸べる手段が「障害者手帳」です。であるならば、「手帳」の取得は大いなる福音であり、素直に喜べばいいと思います。 さ て、手帳の取得が確実になったA君の今後の生活設計はどうなるについてお話をして、この「福祉の窓」を閉めたいと思います。 まず、1ケ月後に「愛の手帳」が送られてきます。今までは生活福祉課から、生活保護を受けていましたが、これからは、知的障害者福祉課の制度の利用も可能になります。 この制度を利用すれば、障害者向けの就労支援が受けられ、その人の能力にあった仕事に従事することが出来ます。生活する上で、収入が足りない部分は生活保護が継続されている限り援助してくれます。 今までのように、障害というハンディを持ちながら、健常者の間に入って、馬鹿にされたり、酷い競争に晒されることなく、自分の背丈にあった優しい環境の中で生活をして行く事が出来るようになります。 とはいえ、精神遅滞や虐待などの心的外傷を引きずりながら、13年間も引きこもり、社会から断絶状態にあったA君が簡単に幸せな人生を得られるとは思えません。 彼に対し、時間をかけて、丁寧に、まるで壊れ物を扱うような注意深さでこそ、初めて、新たなる人生の可能性が出てくると思います。その為には、「愛の手帳」は魔法のような力を私に与えてくれます。 私の力は微力ですが、愛の手帳という武器さえあれば、その魔法の力を縦横に駆使して行けば、何とか彼を幸せに出来るような気がします。 知的障害者の手帳を、東京都では、「愛の手帳」と名づけていますが、本当にいい名前だと思います。他県では「療育手帳」と呼ぶようですが、味も素っ気もありません。 さて、手帳が取得出来たので、次のステップとして、彼の心の病の治療に取り掛かる必要があると思います。知的障害者は健常者に比してストレスに対する耐性が極極端に弱く、健常者に取って、取るに足らないことでも、知的障害者にとっては処理しきれないほどの大きな刺激になります。 更に、知的障害でも、軽度の場合は、社会生活に対する認識がある程度出来ているだけに、それに対応できない自分を意識して、悔しいとか劣等感などを持ちやすいようです。 それだけに、幼少の頃のいじめや虐待などは、心の深い傷として、対人恐怖や不安感、そして、社会への怯えなどを引き起こし、自分自身をダメな人間としての思い込みを深め、出来ることも出来ないような自信喪失の状態に陥ってしまいます。 私の考えでは、彼に必要なことは、精神科医の治療を受けながら、少しずつ、ボランティアでもいいし、或いは、障害者就労の支援を受けて、超簡単な仕事から始めることだと思います。 もっとも、そんな彼の心の病を癒して下さるような精神科医に辿り着けるかが、実は大問題でもあります。 生活保護を受けている身であれば、医師選びなども出来ませんし、彼に一番必要と思える心理療法なども、保険診療が効きませんから、当然、保護受給者には適用されません。 しかしながら、愛の手帳という大きなハードルを越えられたA君ですから、きっと、次のハードルも越えられるような気がします。 最後に、A君が「愛の手帳」を取得するまでに、多くの人の暖かい協力がありましたことに、心よりの感謝とお礼を申し上げます。 福祉班 N ▲
by tenohasi
| 2009-06-16 14:43
| 福祉の窓
福祉の窓 (法律家に弱い福祉事務所)
私たちは、車を運転している時に、パトカーが近づいてくると、一瞬、ドキッとしますよね。 別に何も違反していなければ、怖がる必要がないのですが、日頃、交通規則を100%守って運転しているとは思っていないので、ついつい警戒感が出てしまいます。 これと同じ図式が福祉事務所と法律家の間に見られます。 どいうことかと言いますと、弁護士などが、保護を受けたい人に頼まれて、福祉事務所に同行することが最近はよくあります。 弁護士の名刺をみて、受付の人は内心ドキッとするというより、反射的に、嫌な気持ちが起きるそうです。要するに「面倒だな」という感じでしょうか。 私たちのような支援者に対してさえも、保護を受けたい人に同行して相談室に入ると、担当のCWによっては横にいる支援者を徹底的に無視したり、目を合わせないようにします。 この手のCWに共通していることは、CWとしての福祉職そのものを忌み嫌っているか、或いは、CWとしての力量に自信がないことだと思います。 もっとも、CWの中には、ホームレスだけでなく、ホームレスを支援するような人も「ロクな人間ではない」と思っている節もあります。 しかしながら、CWの中には、支援者が木目の細かいフォローをするとの条件で、格別な処遇をしてくれる場合も結構あります。 例えば、知的障害や精神障害などで、聞き取りに膨大な時間を要する要保護者に対し、支援者が予め正確な情報提供書を提供して、CWの手間を省くようにすることなども、極めて有効なフォローになり、自然に官民一体の支援体制が構築されることがよくあります。 さて、話は戻りますが、弁護士が警戒される理由は、俗な表現を使うなら、CWにとって誤魔化しが効かないからです。 窓口に来た人が、福祉行政について何も分かっていなければ、窓口の担当は、「生活保護はそんなに簡単に受けられるものではありません。まだ、あなたには出来ることがあるはずです。もう一度頑張ってみてください」というようなことを難しい行政用語を巧みに駆使して追い返す「水際作戦」を使います。 いわゆる、「水際作戦」と言われる行政のこの得意技を使われると、勇気を振り絞って窓口に来た生活困窮者は、言い返す言葉が見つからないままに、肩を落として福祉事務所から出て行く、というような風景は福祉事務所では日常的に見受けられます。 しかし、もし、当事者が保護の要件を満たしているのに、追い返されたとすると、窓口の相談員が巧みな話術で誤魔化しをしたか、少なくとも、福祉の理念から乖離した不親切な対応をしたことになります。 ところが、相手が弁護士となると、そのような誤魔化しはいっさい効かなくなります。下手すれば、生活保護の申請権の侵害ということで訴えられてしまいます。 そもそも、生活保護の申請は、法律的には、任意の書類でもよく、或いは、口頭でも申請したことになります。役所はその申請をとりあえず受理しなくてはなりません。 役所に行きたくない場合は郵送でもよく、例の派遣村ではファックスで片っ端から申請したようです。 役所としては、受理すれば審査をしなくてはならず、膨大な手間がかかりますので、出来れば、申請させないように「水際作戦」に精を出すことになります。 福祉事務所の得意技の「水際作戦」に対抗する為の、法律家の得意技が「行政不服審査請求」であり、それで決着がつかない場合は裁判にまで持ち込んでしまいます。 弁護士による生活保護関連の裁判は過去に数多くあり、一つ一つの勝訴がそれぞれの判例として、その後の保護行政の改善を推進してきたという歴史があります。 さて、この両者の得意技が激突した場合ですが、勝負は実は最初から法律家の勝ちに決まっています。 何故かというと、法律家は生活保護法に基づき、何条、何項にこのように書かれているので、その通りにして下さい、と言っているに過ぎません。 一方、行政側としては、そんなことは分かっているけど、実際には運用現場ではその通りに出来ないいろいろな事情があって、多かれ少なかれ、法からは乖離しているという事実があるから決定的に不利な立場に置かれています。 よって、最初から勝負にはなりません。だから、「福祉事務所は法律家に弱い」ということになります。 福祉の職員で、熱心な人ほど、「所詮、100%実施することの出来ない法律が恨めしい」なんて聞かされることもあります。 さて、先日のことですが、豊島の福祉事務所でのことでした。 私はアパートでの居宅保護を希望する路上生活者に同行して、CWと交渉していました。 CWは、「アパートでの居宅には、普通は1ケ月から3ケ月間程、施設でのご本人の生活をみさせてもらい、それからアパートへの転宅をお願いすることになっています」 私は、「それって、ちょっとおかしくありません。法律家が同行すると、すぐにアパートに入れて、私たちのように、保護を受けた後も、当事者が自立出来るようにコツコツとフォローしている地元の支援者に対しは、ハードルを高くするのは納得出来ませんね」と抗議しました。 すると、CWはこれはまずいと思い係長を呼んできました。 係長が出て来て、「私のところは法律家が来ても、『てのはし』さんが来ても、そのような差別は絶対にしていません」というではありませんか。 私は、「ちょっと待って下さい。私たちと法律家のグループとはいつも情報交換しているので何でも分かっていますよ。法律家が同行した場合では、申請して2週間以内に保護を決定し、その3日後にアパートへの転宅費用を支払うようケースが随分あるじゃないですか」と問い詰めて行きました。 すると、係長は、「弁護士でも『もやい』さんの場合でも、不服審査の申し立てをされているケースもあり、何でもかんでも受けているわけではありません」と言い張ります。 係長は、一生懸命論点をすり替えようとしていました。そして、大きな声でまるでテーブルを叩くような勢いで迫力がありました。 私はその係長(女性)の必死なパフォーマンスをみながら、「やはり、保護課の係長になるような人はすごいものだ。このくらいの気合がなければ貧困の最前線の鬼軍曹は務まらないな」とすっかり感心して聞いていました。 そして、なりふりかまわず職務を貫こうとする係長に好感を持ってしまいました。 私が若く、人生経験がまだ甘い時期であれば、このような場合、自分も興奮して「嘘つかないで下さい。それなら証拠を持ってきましょうか」ぐらいの流れになったものと思います。 しかし、年老いた今はまるで海に漂うクラゲのようにフワフワになってしまいました。 私の最大の弱点は、相手が敵であれ味方であれ、すぐに相手の立場にたってしまうことで、これではケンカが成立しません。 今回の係長の態度は、役所の立場を通すために、嘘でも屁理屈でもいいから言い通す必要があったと思います。自分が同じ立場であればきっと同じことをしたと思います。 そう思うと、「係長も大変だな」と同情し、怒るような感情は湧いてきません。 ということで、私は適当なところで、「係長、まあ、いいですよ。分かりました。要するに、法律家であろうと『てのはし』であろうと扱いは全く同じだということですね。これからもその通りにしてくれればいいですよ」と言って引き上げてきました。これって、すごく「大きな収穫」です。 もっとも、私としては、話の本筋であった、居宅保護に関してですが、長く野宿生活をしていた人に対し、アパートでの自立が出来るかどうか一定期間、様子を見るという行政のスタンスは当然と思っています。 余談ですが、係長とのバトルが終わったあと、穏やかな表情に戻った係長は別の話を言い出しました。 「今の若いCWはどうしても経験不足で精神に障害がある方への対応がうまく出来ていません。精神を病むと思われる方へ下手な言い方をすれば人権問題として非難されたりして役所としては困惑することが多いのです。このような分野でぜひ『てのはし』さんの協力をお願いしたい」というような趣旨でした。 どうして、『てのはし』と精神障害者を結びつけてきたのかは分かりませんが、『てのはし』には精神科医が二人もいることや、障害を持つホームレスの支援に力を入れていることを十分に認識しているようでした。 「てのはし」の精神科医の森川さんが「ボトムアップ・プロジェクト」という事業を立ち上げました。 この事業の趣旨は、路上生活者と精神障害との相関関係を医学的に研究し、拠って、ホームレス問題の改善に寄与しようという画期的な試みです。 折りしも、「世界の医療団」という世界的な規模のNPOが、「路上生活者とメンタルヘルス」に興味を持ち、「てのはし」との協働の話が具体化しつつあるようです。素晴らしいとだと思います。 さて、すっかり話が飛んでしまいましたので、副題に戻って「福祉の窓」を閉めたいと思います。 最後に、一言。 今の豊島の保護行政は素晴らしいと思います。 この状態がいつまで持続するかは分かりませんが、少なくとも、今のままなら 弁護士なんかそれほど怖くない状態だと思います。 もっとも、その分、一人ひとりの職員の負担は大変だと思います。 今の福祉事務所は保護件数は去年の倍以上ということで、大混乱です。 先日も、失踪した人を探しに夜の池袋に行きましたが、夜の10時でも生活福祉課は赤々と電気がついていました。昼間は被保護者への対応で忙殺されて書類の整理がつかず、残業するしかないそうです。 今年の3月に厚生労働省から「通知」が全国の福祉事務所に出されています。 その中には、増える困窮者への対応を充実させるために、福祉事務所の受け入れ体制を強化するよう書かれています。 また、その為の、人件費を国が100%持つと書かれています。 しかし、国による人件費負担は一定の期間に限られているため、自治体はおいそれと人員を増やすわけにはいかないそうです。 何故なら、一定期間が過ぎたら、増やした人件費の負担は自治体に戻るそうです。 そうなると、二階に上って梯子をはずされた状態になり、ただでさえ、税収入が落ち込んでいる上に、人件費という財政負担が自治体に重くのしかかってくるのが怖いそうです。 悲しいかな、豊島区は都内23区でも貧乏三羽烏の一つです。 去年は不況のあおりで税収が2億円も減ったそうです。 実は、私は豊島区の住民であり、貧乏区になるのは住民が貧乏で十分な税金を払わないからですが、正に、私のような貧乏人がゴロゴロしているせいですね。トホホ・・・・ ▲
by tenohasi
| 2009-05-02 09:52
| 福祉の窓
この副題から想像することは、貧しさの極限の中で、重い病を患い命の危険があった一市民が、心優しきCWの献身的な支援で一命を取りとめようとしているような美談の話かと思うかもしれません。 が、全然そういう話ではなく、福祉行政の狭間ともいうべき処遇困難者を巡る福祉事務所の職員の苦悩と葛藤ともいうべきものについて述べてみたいと思います。 話の発端は1年前に遡る、「てのはし」の夜回りでの出来事でした。 「てのはし」の福祉班のBさんが、駅の構内でホームレス状態の80歳に近いお婆さんを見つけ、翌日、C区の福祉事務所にお連れして保護を受けました。 お婆さんは障害があると思われる高齢者で、受け入れてくれる適当な施設も見つからず、とりあえず、東京近郊にある精神病院に入院することになりました。 それから1年が経過した、つい先日、福祉事務所の担当のCWからBさんに電話があり、お婆さんのことで相談をしたいとのことでした。 とりあえず、福祉事務所に行ってみると、1年前に福祉にお連れしたお婆さんがいらっしゃいました。 CWの話は、「お婆さんは最近、精神病院を退院して、池袋に戻ってきました。身よりも帰る家もない方ですので、ここ1週間ほど、宿泊所に泊まってもらっていたのですが、部屋でおしっこをしてしまい、そこを出されてしまいました。 やむを得ず、他の病院に社会的な入院を出来る手はずを取ったのですが、ご本人は嫌だといいます。私の言うことも全然聞いて下さいません。もはや、私たちではもうどうすることも出来ません。 ご本人はD区に自分のアパートがあるので、そこに戻りたいと仰っています。 もし、それが本当であれば、そのアパートがあるD区の福祉が本来、おばあさんを保護すべきです。 そこで、お願いですが、おばあさんをD区へ連れて行ってもらえませんか。ご本人もそちらへ行くことを強く希望しています。このC区の福祉事務所はこれでこのお婆さんの保護を廃止します」と言ったそうです。 C区は、お婆さんの身柄をBさんに預けて、これで厄払いが出来たと思ったようです。 Bさんは釈然としませんでしたが、やむをえず、お婆さんをD区の福祉へ連れていくことにしました。タクシー代が6000円もかかる距離でした。 因みに、お婆さんは高齢に加えて、身体的にも、精神的にも障害があるようで、一人ではほとんど社会生活も日常生活も出来ない状態で、移動するにしても車に乗せるしかありません。 Bさんはお婆さんと一緒にD区を訪れ、事情を話し、お婆さんの住んでいたというアパートが本当にあるのかどうか調べてもらったところ、アパートそのものは実在することが分かりました。 しかし、もう何年も前のことなのでお婆さんが住めるのかどうかも、また、他の人が既に住んでいるのかも分かりません。勿論、お婆さんは鍵などとっくになくしているようでした。 D区は、Bさんに対し、「お婆さんを連れてそのアパートへ行ってみてくれませんか。もし、鍵がかかっていたら壊してでも入ってください」と言ったそうです。 Bさんは、ボランティアの自分がどうしてそこまでしなくてはならないのかと、釈然としませんでしたが、ぐっと我慢して、お婆さんを連れてそのアパートへ行きました。 お婆さんは、「たしかにここは私のアパートだ」と言いましたが、何年も経過していれば、今は、誰かが住んでいる可能性があります。ドアを叩いても部屋からの反応はありませんでした。 だからといって、ドアの鍵を壊すようなことをすれば、下手すればBさん自身が犯罪者になってしまいます。そこで、Bさんは警察に電話して現場にきてもらいました。 警察が本部に電話して調査した結果、そのアパートには別の人が住んでいることが判明しました。今時のアパートには、表札も住民登録もないままに人が住んでいることは別に珍しいことではないそうです。 そのアパートは元々はそのお婆さんの親族の所有であったのが、現在は競売されて他人の所有に移っていることも分かりました。 従って、お婆さんには住むべき場所がないことがはっきりしたわけです。 しかし、事実関係が判明した時間は既に5時をとっくに廻って役所は閉まってしまいました。Bさんは、一人では何も出来ない高齢のおばあさんをかかえて途方に暮れてしまいました。お婆さんは電車にもバスにも乗れません。 しかも、役所から預かった交通費も自分の所持金も使い果たして、それこそ、翌朝、役所が開くまで、二人で近くの公園でも探して野宿するしかないという哀れな状況に陥ってしまいました。 私はBさんからのSOSのメールでその事情を知り、すぐに車で二人を迎えに行き、その夜はお婆さんを、無理をきいてくれるなじみの旅館に泊めました。 さて、翌朝、福祉事務所Cへ行くかDへ行くかで迷いましたが、居住の実態があるとの前提で保護を廃止したC区の対応に疑問を持ったので、まず、原点ともいうべきC区へ行き、昨日の一連の出来事を説明し、保護の廃止は納得の行くものでないと抗議しました。 CWと係長は、要保護性は認めたものの、CWの指導指示に従わないお婆さんをこれ以上どうすることも出来ないし、その区でのあらゆる社会資源を使い果たして、このお婆さんを受け入れてくれる施設はもうないと主張しました。 私もこのお婆さんと二日ほどお付き合いしてみて、これほど対応の難しい人はめったにいないものだと認めざるを得ませんでした。 高齢で痴呆もあるし、精神障害の影響のせいか性格にかなり偏りのある人のようにも思えるし、自分の気に入らない人に対しては攻撃的な言動をするし、病的な動作も頻繁に行います。 そもそも、生活保護自体のシステムもよく理解できていません。身体も右足が伸びたままで、膝を曲げることも出来ず、歩行が困難です。だからといって、何にも分かっていないかと思うと結構、ツボを心得たことも言います。 実際のところ、私にはこのお婆さんの正体がよく分かりませんでした。恐らく、痴呆もあるし、何らかの精神障害もあるし、それに加えて、ホームレス状態の中で、老い行く不安に苛まされ、ますます心のバランスを失って心が頑なになっているのかもしれません。 しかし、一つだけはっきり言えることは、この高齢のお婆さんには、世話してくれる身寄りはもとより、住むべき家もなく、お金も無く、かつ、社会への適応能力を喪失している状態であるということです。 通常、保護を停・廃止するには法的には下記の三つの条件が必要とされています。 1.要保護性が消滅した場合(法26条) 2.福祉事務所の指導指示等に違反した場合(62条・27条) 3.立ち入り検査・検診命令を拒否した場合 さて、C区ですが、お婆さんの居住の実態がないことが判明しても、次に、上記の2.の指導指示に従わないことで保護の廃止は妥当だと主張しました。 私は、当然、指導指示の条文の前提は、当事者が指導指示を理解出来て、かつ、従うだけの能力を有しているのに、故意に従わないという場合であって、痴呆や何らかの障害などでその能力が欠如している場合と区別すべきだと主張し、白黒をつけるために、「しかるべき精神病院できちんとした検診をうけさせて欲しい 」とお願いしました。 しかし、C区の対応は頑なに保護の廃止を言い張り、あくまで、D区に連れて行くように言いました。 CWは、「お婆さんは私を嫌らっているし、私も今まで、必死で何とかしようと頑張ってきましたがどうにもなりませんでした。第一、この区では、もう、お婆さんを受け入れてくれる施設はないので、むしろ、他の区で新規に保護を受けてやり直すほうがむしろ、ご本人にもいいかと思います」と切々と訴える感じでした。 私は、CWの話を聞きながら、CWの気持ちが痛いほど分かっていました。 このお婆さんのケースは「超処遇困難者」として、担当CWは大変な苦労をするものです。 一番の苦労は、受け入れてくれる適切な施設や病院がないので、どこでもいいから、取り敢えず、どこかに入れようとします。 今回の場合は、取り敢えず、民間の宿泊所に入れたのですが、部屋でおしっこをしてしまったわけです。当然、そこの業者から強烈な苦情が来るし、損害賠償なども要求されたりして、その処理に大変な手間がかかります。 CWは一人で100人近い被保護者を抱えていますから、一つ事件が起これば、全体にしわ寄せが行き、CWはどんどん追い詰められてしまいます。 そして、一つ問題を起こす人は、次々と問題を起こして行き、遂にはCWは炎上してしまいます。CWの心情としては、すべての原因はあの「ばあさん」にあると思ってしまうとしても無理はありません。 もっとも、今回の件も冷静に分析してみれば、部屋でおしっこをしてしまうような障害のある人を普通の旅館に泊めることが不適切であって、それをお婆さんの人間的な欠陥だとか、規則の守れない人として保護の廃止の理由に持っていくのはちょっと無理があると思います。 それでは、CWに問題があるかと言うと、そうとは言えません。CWは当然、お婆さんの泊まれる場所を必死に探し、その時点では、そこしかなかったに違いありません。 それでは、どこに問題があるかということですが、このような「超処遇困難者」を受け入れる施設がないことこそ深刻な問題だと思います。 「処遇困難者」とは、行政がいくら手を尽くしても、受け入れ先がなく、どうすることも出来ないからこそ、「処遇困難者」と呼ばれる所以です。 ですから、病気が明らかに重篤であるとか、或いは、障害があっても、ちゃんと障害者としての認定を受けて手帳を保有していれば、重い、軽いは関係なく福祉の制度にすっぽりおさまりますので、福祉的には「処遇のしやすい」部類になります。 逆に、障害があると思われる人でも、或いは、明らかに認知症だと思われる人でも、障害者手帳だとか、介護認定などがなければ、福祉の世界では「健常者」扱いになり、障害者向けの施設などにも入ることが出来ません。 更に、事を複雑にしているのは、障害者と思われる人が保護を受けても、障害者として認定される手続きには長い道のりがあり、また、認定されたからといって、障害者としての施設にすぐに入れるとは限りません。 そして、次に来るのが「入所待ち」です。ですから、それまでの待機期間を、実質的には障害者であっても、「健常者」の入る施設で生活しなくてはなりません。普通の人は、暖かい家族の中で、「入所待ち」をしていればいいのですが、住む場所のない被保護者はそうは行きません。 そもそも、ここに大きな無理があるのです。障害者が健常者の中で、同じように生活が出来るわけがありません。 当然、問題行動を起こすようになります。その結果、施設の規則に違反したとのことで、強制退所、保護廃止などということが日常的に起きてしまいます。 酷い話ですが、それが現実であり、現在の福祉制度の限界でもあります。このような問題は福祉事務所だけののせいでもなく、ましてや、CW一人の責任でもありません。 根本的には国であり、政治であり、そして、財源としての税金を払うかどうかの国民のコンセンサスにも繋がり、まあ、結局はダメだろうという弱気な結論になってしまいます。 しかしながら、この福祉制度の限界のしわ寄せは、弱者救済に真摯に取り組んでいる福祉行政の最前線のCWほど、重い負荷になっているはずです。 さて、話が飛んでしまいましたが、担当CWが私に対し、他の区へ連れて行くように必死に説得する場面に戻ります。 私は、そのCWの話に妙に説得力を感じていました。私の頭の中では、「このCWはこのお婆さんに振舞わされて疲弊しきっており、これ以上対応するだけのエネルギーは残っていないようだ。 私としては、この難しいお婆さんを、何とか人間らしく人生の最終章を迎えさせてくれるのであれば、どこの福祉だろうと構わない。このCWの言うように違う福祉へ行くほうがチャンスがあるかもしれない。 このお婆さんはC区ではすっかり忌み嫌われる存在としてのイメージが固定化されてしまっているので、このままでは、C区にとっても、このお婆さんにとっても不幸なことだ」というような思いを巡らしていました。 お婆さんが実質的な住所不定ということになると、法的には「現在地保護」の原則で、どこの福祉事務所でも保護の申請をすることが出来ます。要するに、CでもDでもいいことになります。ですから、いつまでもCにこだわっている必要はありません。 そこで、私は、「分かりました。それでは、D区へお連れしてみます。私としてはこのお婆さんにとって一番いい方法であれば、どこの福祉事務所であろうと、規制がどのようなものであろうと全然構いません。 とにかく、これからお婆さんをお連れして、全力で交渉します。秘策を使って頑張ります。その代わり、いいですか、CWさん、D区でうまく行くように祈っていて下さいね」と言い残して、C区を後にしてD区に向いました。車で1時間もかかる遠く離れた区でした。 さて、D区の福祉事務所ですが、とても対応がよく、よく話を聞いてくれました。もっとも、この区には、ホームレスはあまりいなくて、まして、80近いホームレスのお婆さんということで、戸惑う様子もみられました。 私は、まず、C区から来たことを言って、今までの経緯をすべてありのままに正直に説明しました。その後、D区のCWはお婆さんに直接、聞き取りを行い、「事情はよく分かりました。今晩から何とかしなくてはいけませんね、ちょっとお持ち下さい」と言って、私たちを相談室に残して、自席へ戻って行きました。 それから、相談室へ戻ってきたのは3時間以上も経過してからでした。 私は、てっきり、D区で保護を受理して、今晩からの宿泊をこの区の老人関連施設にはめ込むための折衝をしているのかと思いました。 しかし、それにしては随分長く待たされるし、ちょっと雰囲気がおかしいような気もしていました。 CWが戻ってきて、話したことは、私の予想とは全く違うもので、「C区と話がついて、お婆さんはC区が引き取ることになりました。ですから、お手数ですけど、もう一度、C区へ戻って下さい」という内容でした。 後から聞いて話ですが、「D区とC区の課長同士が話し合ったが結論が出ないので、東京都の福祉保健局が中に入り、C区の保護廃止は不適切であるので、よって、この話はC区に戻すべきだ」という東京都の指導に従った結果でした。 役所に行くと「それは窓口Aです」と言われ、窓口Aに行くと、「それは窓口Bです」と言われ、窓口Bに行くと、「それは窓口Aです」というような「たらい回し」と呼ばれる経験を誰でもしたことがあると思います。 私が、福祉活動をしていてよく経験するのは、福祉事務所間の「たらい回し」ですが、実は、このような場合、通常、福祉事務所の係長クラスが電話でやりあうケースが多く、「これはそっちの責任だろう」というように、お互いが押し付け合いをしますが、まことにおかしなことに、福祉の理念により忠実な方が、そうでない方から押し付けられるという結果が多いようです。 しかし、今回のように、23区間でもめたのを東京都が仲裁に入るというケースは私自身が関係したケースでは初めてでした。 3時間、相談室で待たされている間に、福祉事務所C&Dと東京都の3者間で激しい火花を散らして死闘を繰り広げていたのです。 この話を聞いて、私は正直、ほっとしたというか、嬉しくなりました。何故かと言うと、東京都の仲裁はまさに、福祉の理念に則したものであり、法の条文が正しく機能している証左でもあるからです。 東京都の「C区の保護廃止は法的に正当なものでない」との判断は、高く評価されるし、私たちのような弱者に少しでも寄り添いたいと思っている者には大きな勇気を与えてくれます。 さて、C区が受け入れてくれるとのことで、私たちは再び、C区へ向いました。私はハンドルを握りながら、C区のCWも係長もきっとがっくりしていると思うと、気の毒で悪いことをしたような気がしました。 しかし、これは役所同士の話し合いであり、上級官庁である東京都の決めたことですから私に恨みを向けてもお門違いというものです。 とは言え、私たちのようなホームレス支援者というものは、行政から嫌われるのは宿命のようなものであり、耐えるしかありません。 ところで、副題の「ケースワーカーの祈りは天に通じず」について、最後に私の感想を述べてみます。 実は、お婆さんにアパートでの居住の実態がないことが判明したので、保護の実施機関はC区であると思いC区の福祉事務所に行ったことは前述したと思います。 そこで、私は、「お婆さんの保護の原点はC区と思いますので、こちらにお婆さんをお連れしました」とCWに言いました。すると、CWが間髪をいれずに、「私もこのお婆さんの原点はBさんだと思い、Bさんにご連絡しました」と言いました。 私は、これは問題発言だと思いましたが、その時は、CWもいろいろ苦労しているし、「まあいいか」と思い聞こえない振りをしていました。 しかしながら、「困窮したお年寄りを見つけて、福祉事務所にお連れしたBさんに、最終的な責任をとるべきだ」と言わんばかりの発言に心中穏やかならざるものがありました。 行政の人間として、心の中でどのように思うのも勝手ですが、決して口に出してはいけない言葉だと思います。 C区に向って運転している私の脳裏に浮かんだのは、「そうか、CWの祈りが天に通じなかったのは、あの問題発言を天がちゃんと聞いていたからだな、そうか、なるほどね」 いやいや、「口は災いの元、くわばら、くわばら」だ。 私自身も言葉には十分気をつけようという自戒の念を込めながら「福祉の窓」を閉めたいと思います。 長文、お付き合いありがとうございました。 福祉班 N ▲
by tenohasi
| 2009-04-02 10:26
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