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8月10日TENOHASI夏祭りのボランティアについて

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みなさま
今年もTENOHASIでは8月10日(土)に夏祭りを開催します。

この1年間に池袋の路上でなくなった方を悼む「慰霊祭」を軸に、昼のそうめん・午後のかき氷・スイカ割り・夜はカレー、など盛りだくさん。

一日中てんてこ舞いで、ボランティアセミナーを実施することができないので
この日の調理ボランティアは、調理ボランティアを経験したことのある方だけ、募集します


昼食~夕食配布ボランティアは、初参加の方もOKです。


TENOHASI夏祭りボランティア募集要項

①調理ボランティア 9時~15時 経験者限定

②昼食~夕食配布ボランティア 12時45分 ~19時(途中の出入りOK・予約不要) 東池袋中央公園集合
 13時 そうめん配食
 14時 慰霊祭 
 15時 かき氷・すいかわり
 16時半 衣料配布
 18時 カレー配食 (大塚モスク提供のカレー)
 19時頃 終了


TENOHASI事務局
by tenohasi | 2019-07-31 20:40

TENOHASI関連記事「家が支え」その1(7月23日読売新聞朝刊 生活面「医療ルネサンス」より) 

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by tenohasi | 2019-07-23 20:07 | その他

7月23日、24日の読売新聞にTENOHASI関連記事

皆様

明日・明後日の2日連続でTENOHASI関連記事が読売新聞に掲載されます。

「医療ルネサンス」という人気の高い連載記事で
精神身体の障がいを抱えながら路上生活を続けていた「なべさん」がハウジングファースト東京プロジェクトの支援を受けてアパートに住んだことでどんなことが起きたかを2回連続で掲載されるそうです。

読売新聞の鈴木記者が2年くらい前からハウジングファースト東京プロジェクトの研究会に参加されて取材を繰り返して書かれた記事ですので、内容も期待できます。

ぜひ、ご覧下さい。

TENOHASI事務局 清野賢司

by tenohasi | 2019-07-22 23:32 | お知らせ

7/13(土)炊き出しブログ

今日も池袋の公園でおじさんやスタッフの方々と楽しくお話しし、温かい夜ご飯を一緒にいただきました。

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   (↑普段食べないようなお米の量。食べやすくて全部おいしくいただきます)


炊き出しの時間は、普段なにかに追われるようにして頑張る生活を送っている私にとって、なんとなくリラックスできて心が明るくなる時間です。おじさんたちにとっても、私にとっても、温かいごはんを人と一緒に食べる体験は、意外と大きな心のよりどころになったりするのではないでしょうか。

「何でボランティアに来たの?」 大学生のボランティアといえばゼミ活動の一環で来る方が多い中、1人さみしく少し勇気をだして公園に来る私は、そうよく聞かれます。(私は看護を専攻している大学生です)

特に高い志があるわけではない私は、今日も「んー、参加して楽しかったので…暇つぶしです。」と答えました。ここで書いていいのか分かりませんが、実際、そんな感覚です。

そんな中、なんと今日は「暇つぶし」以上の幸せをゲットしました。片付ける場所に移動する時、生まれて初めてトラックに乗せてもらったのです! 長年の夢があっけなく叶ってしまいました。

今考えると、こんなふうにして、自分より2倍も3倍も年上のスタッフさんやおじさんたちに可愛がっていただけるのが楽しくて、てのはしのリピーターになりつつあるのかもしれません。

少し前までは、ボランティアをする人の気持ちが全然わかりませんでした。高校にもボランティア部がありましたが、当時は「え、なんでなんで? なんでやる人いるの?笑」くらいの浅はかなJKでした。

でもこうして公園に足を運ぶと、たいそうなことはしていないのに、このように皆さんとの楽しいひとときが過ごせます。ありきたりで恥ずかしいですが、何かを与えたときには必ず受け取るものがある、と看護学生をしていても最近実感します。(まだ何も与えられるものはありませんが。)てのはしは、小さなギブとテイクが張り巡らされて、おじさんたち・スタッフさん・ボランティアみんながゆるやかに支えられているコミュニティなのかもしれません。(もちろん、小さくないギブをしてらっしゃるスタッフさんもたくさんいらっしゃいます。)


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(↑今日は卒業以来会っていなかった高校同期とボランティアとして再会しました! 炊き出しは出会いの場(!?)でもあります。)


もう少し、ブログを書くにあたって、最初に私がてのはしに流れついたきっかけを考えてみました。

になって振り返ると、原点には私が昔から最も関心をよせていたことがありました。


それは、「ホームレスネス(homelessness)」。”home” がない、という状態のことです。「ただいま」と言える場所のないこと。安全で安心して眠れる場所のないこと。温かい食卓のないこと。腰をおちつけ肩の力を抜ける場所のないこと。安らぎを知らないこと。守り守られる人のいないこと。どうでもいい会話をする相手のいないこと。ここに居ていいのかなと不安になること。ここには居られないと苦しくなること。つまり、「居場所」がないということ。


こう考えると、意外と多くのみなさん自身の中にもチクッとする思い出があったりするのではないでしょうか。私もこうした経験があります。だからこそ、私はおじさんたちにちょっとした仲間意識を感じて、一緒に時を過ごすのかもしれません。


これからも、”home” への入り口である炊き出しで、みなさんと一緒に温かな体験を重ねながら少しずつおじさんたちの人生に触れられたら、と思っています。

さて、次回の炊き出しで、私はまた1つ楽しみにしていることがあります。それは、調理班として大きな鍋で野菜スープを作ることです。どうやら小学校の給食室にあったような大きな鍋があるようなので、ぐるぐるかき回してみたいです。野菜を切るのも修行だと思ってがんばります!

(木田塔子)


by tenohasi | 2019-07-21 15:01

6/22(土)炊き出しボランティア日記


私はどっぷり昭和の人間です。

日本の景気が良い時代に教育を受け、明日への心配など皆無な時代に社会人になり、タクシー券をバンバン切って、「疲れがタモレば、ユンケルだ!」と栄養ドリンクを飲んで仕事をしていました。
当時の栄養ドリンクは、疲労回復とか病中病後の栄養補給というよりも、深夜まで働いて朝まで飲んでガツンと目を覚ますためのカンフルのようなものでした。
ですから、この手の製品CMで「24時間働けますか♪」と歌われても、だれも不思議に思わなかった。
ブラックじゃ~ん。コンビニ・オーナーかよ。なんて、ほんと、だれひとり、思わなかったのです。そういう時代です。

この世の中に「貧困」があると気づいたのは、いつだったのでしょう。
バブルがはじけて、その余波が庶民の生活に沁み込んできた1990年代半ばかもしれません。
街、とくに人で賑わう繁華街の路地や駅構内の死角、河川敷の高架下、公園の植栽……そこで生活をする人々が、日常的な(?)すがたとして「存在」するようになりました。
でも、木や鉄でできた家に暮らす市井(しせい)の者は、もちろん私も含めて、調子に乗っていた時代の高揚感が忘れられず、いつかどうにかなるだろう、と、彼らの存在を無視、意識の外に排除しました。

大人は子どもに「近づいちゃいけない」と囁き、友人と連れ立って歩けば気づかないふりをして会話を続け、気づいてしまったら息を殺して通りすぎる。そういう処世術で、私たちは、じわじわ、じわじわと「差別」を育てていったのです。

TENOHASIの活動を知ったのは友人のSNS投稿からでした。池袋で月2回の炊き出し、週1回の夜回りをしていると知りました。ホームページから炊き出しのお手伝いを申し込みました。過去にすれ違った路上の人々に対して、なにもしてこなかった自分を免罪する気持ちが、なかったといえば嘘になります。

その日、具体的にどんな活動をしたのかは、他の方々も詳しく書いておられるので割愛します。
印象に残ったことは、一緒にお手伝いをしたOさんとSさんです。ふたりは路上から抜け出したひとです。路上から今のアパート暮らしに移るまでの経緯や自身の出身地のことを、あけすけに語るOさんに反してSさんはそうしたことはほとんど話しませんでした。

調理のあいまの休憩時間、ごく一般的な会話として世の中の景気が云々と話していたとき、Sさんがぽつりと「オリンピックが終わればみんなもとに戻りますよ」とつぶやきました。私はなぜかドキッとしました。なぜドキッとしたのか、最初はわかりませんでした。
「オリンピックに早く終わってほしいんですか?」と私が聞くと、別の方が「それは、オリンピックのせいで、ずいぶん排除されていますからね」と答えてくれました。

自分の心臓がドキドキした理由は、たぶんふたつ。
私は今もまだ排除する側の意識をもっているという不安、Sさんの心が今も路上にあるのではないかという懸念。
わかりにくいかもしれませんね。すみません。

炊き出しをする公園に行くと雨の中、早くも100人くらいの方々が行列をつくって待ってくださっていました。コーヒーを配ると3回も4回も列に並びなおして、おかわりをしてくださる方がおられました。砂糖の入ったあまいコーヒーを「最高」と飲んでくださいました。
表情がどんどん溶けていくようで、嬉しくなりました。

ムスリムの教会の方が持ち込んでくださった本格的なカレーと私たちが準備したあたたかいごはん、野菜の塩もみで、おなかを満たしていただきました。満ちたのかどうかわかりませんが。
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食後の一服をたのしむひと、パック詰めをしたごはんを手持ちの袋にしまい直すひと、健康相談や生活相談のテントをこわごわ覗くひと。
家のなかではないけれど、幸福な家庭の食後に漂う「ごちそうさま。さて、これからどうしようかね」といった、ゆるゆる、のんびりした空気が、公園のなかに漂っていました。

数時間前の調理場で、OさんとSさんが口をそろえて「路上には絶対に戻りたくない」とおっしゃっていたことを思い出しました。
そうして、今、自分の目の前にいる、この食後の余韻を味わっている人々が、このあと、また路上で眠るのだと気づき、泣きそうになりました。

私たちおとなは、かつて彼らを「浮浪者」と呼んで「区別」をしました。
ふつうに生活をしていれば路上暮らしなんてするはずないでしょ、自分で何かやったんでしょ、自己責任でしょ。そんな非難の心を込めて「区別」をしました。「浮浪者」と「区別」をすることで、差別をしている自分たちを正当化しようとしたのです。

でも、と思うのです。その区別の境界線は今も、路上と屋内でしょうか。
木や鉄の家に住んでいるのに、貧しい人・富める人の格差はどんどん広がり、一部の富める人の豪華な住まいやドレス、食事をInstagramで眺めて溜め息をつく、溜め息をついているだけだとみじめになるから自分の暮らしのなかのささやかな贅沢を高機能になったスマホで撮影加工してSNSに投稿する。めんどくさいことはなるべく考えないようにして、意見もしないようにして、とりあえず今は大丈夫っぽいから大丈夫と言い聞かせているその足もとに、なんだかヤバそうな空気がひたひた迫っているのを、感じているけど感じないふり、それとも感じることができなくなっている。

木や鉄の家に眠らない彼らを「浮浪者」=「浮浪する者」とカテゴライズした私たちは今、私たち自身の生活の足もとが崩れはじめ、ずぶずぶぬかるんできていることに、どの程度気づいているのでしょう。貧困も環境問題も政治も、次の世代に先送りし続けて、ああ良い人生だったと死ねるのでしょうか。
路上で眠る人々の総数はたしかに減ったのでしょう。でも、格差は、貧困は、家のなかで眠る人々の身の上ですでに起きているのではないでしょうか。
ふらふら、ふらふら、浮浪しているのは、路上に生きる彼らではなく、家のなかで眠る私たちのほうなのかもしれません。
(谷村紀久代)

by tenohasi | 2019-07-12 00:48