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こんばんは。昨日はいつもどーり定例会が行われました内容は総会に向けた予算・決算の話し合い。会員制度について他のNPOとの交流について。ある方の葬儀への参列について役所との関係についてなど。。。今回も盛りだくさんです。まだまだこれからのてのはし、少しでもみんなの理想に近くなるように話し合っています。昼間は花見ということでほろ酔いの方もいましたがかえって頭の回転が良かった!?くらいです。 予算・決算は今年ちょくちょく記載した成果も現れようやくたたき台ともなる基本の部分が出来たと思います。そのせいかいろいろ意見もいただきより良くなるように改善していきます。 豊島区の他のNPOの方と交流を持つことで私たちの力を何倍にもしようと仲良くやって行こうと交流会に参加したのでその報告がありました。 そのほか、ここでは書ききれないほどたくさん話。いつもどおり時間ぎりぎりまで話あいました。 みなさんも6月4日の総会に是非いらして見てください。年に一回の総会なので会員制度についてなど大事な話し合いをしたり承認をいただいたりする大事な会議です。 さて、話は変わりますが4月は出会いと別れの季節です。てのはしでは今年晴れて就職しそれぞれの仕事で頑張るようになった方がいます。合格・就職おめでとうございます! #
by tenohasi
| 2006-04-03 21:01
| 日々の活動
「ホームレス」という言葉は、たんに「生活状態」を意味するだけではなく、その中には様々な差別的概念が含まれている。十分な根拠を持たない、否定的な、歪んだイメージによって意識が作られ、さらにその意識が「ホームレス」という言葉の中で、差別的思想となって増幅していく。それが彼等を被差別者集団としてカテゴリー化し、彼等が望む社会的に平等な待遇を拒否することにつながっていく。社会ではすでに「差別用語」として機能している。 その言葉は世界的に通用し、定着しているのだが、言葉によって差別が助長されているという側面を認めつつも、他に替る言葉がないために問題となる事はない。事実「ホームレス」と呼ばれるだけで、社会からは否定的イメージで捉えられ、異質なものとして、忌避・排除・いじめ・攻撃の対象となっている。 そこでは市民社会を構成する人間としても認められてはいない。さらに、社会的なあらゆる諸権利、機会が剥奪され、「社会的無権利状態」におかれる。彼らは差別的思想の集団の前では、人権を持つ人間としては扱われず、社会に害を為す無用な異物として、感情的に攻撃または排除されてゆく。 現代社会の日常の中で蓄積される個人的・社会的な様々なストレスが、差別感情のエネルギー源となっているのではないだろうか?欲望を煽り、消費を煽る資本主義の社会構造の過程で、充足が満たされなかった結果発生したフラストレーションが、社会的弱者への憎しみや敵意に転化し、攻撃的な差別感情となってホームレスに向けられる。本来の不平不満の「スケープゴート」となって、怒りや敵意をぶつける格好なターゲットになっていく。 若者たちはストレートに差別感情に基づいた攻撃行動に出るが、大半の大人たちは自らは手を下さずに、行政を動かして自己中心的排除行動に出ることが多い。大人たちもホームレスに持っている非好意的な差別の意識に、本質的な差異はなく、より陰湿なものになっている。間接的に行われる差別行動は、個人の社会的責任や罪悪感を薄める効果があり、視野狭窄的に排除行動が正当化されていく。 ホームレスが「生きたい」・「人生を楽しみたい」・「社会に復帰したい」という人間として前向きな希望は、社会のフラストレーション発散のパワーの前では簡単に押し返され、破壊される。深い穴の中に落ちてしまった人間に例えれば、社会は梯子やロープも与えずに「上がって来い!なまけ者!乞食!」と罵声を浴びせかける。行政が投げ入れてくれる梯子やロープは少なく、一度失敗すると再挑戦の機会は失われる。穴を上りきる体力・気力のある者はわずかであり、大半は穴の中に取り残され、暗い穴の中で人生を終える。 日本という国は福祉の充実した、人権が守られている社会なのだろうか??本当に病んでいるのはホームレスではなく、社会なのではないか? 行政が行う各種の適正化政策は、国家や住民の歪んだ思想を背景にして、社会的弱者をますます暗い穴の中に追い込んでいくように思えてならない。 弱者排除が進んだ未来社会をイメージしてみれば、そこはすでに人々が支えあう社会ではなく、自らも弱者となったときに排除されるのではないかという恐怖感、不安感に脅える毎日がある。常に勝者の側にいなければならないというプレッシャーで、心が休まることはない。気を抜けば敗者となって、自分も排除されるのではないかという意識がいつもあり、その意識が連続的な緊張を生み出して、ストレスをさらに増大させていく。そのストレス解消の「スケープゴート」として、社会的弱者が攻撃され、排除されるという悪循環が、地獄のように繰り返されていく。 そういう安らぎのない、笑いもない、人と信じあうことも、認め合うこともない、人々が互いに手をつなぎ支えあう姿の見えない社会。他者愛のない、自己愛だけの社会。福祉と対極にある世界とは、そんな所である。あなたはそういう社会を、本当に望みますか? 今、世界で、日本で、あなた達が住む町で、そういう恐ろしい社会が作られようとしているのかもしれない。物の豊かさのカゲで、そういう事が、目に見えない所で起きている。一般国民が感じ取れないところで進んでいる。社会的弱者はその事を身をもって、痛みを伴って感じている。社会の病理は社会的弱者に、現象として表れる事が多い。したがって弱者の叫びに耳を傾けることは、社会の病を直接感じ取ることになるのではないだろうか。 ちょっと立ち止まって、深呼吸をして、空を見上げて、優しい気持ちになって、社会の自分のまわりにいる様々な弱い人たちに、一声かけて話を聞いてみることが、世直しの第一歩になるのではないか。私は最近そういう考え方をするようになって来ている。 (路上のコラムニストX) #
by tenohasi
| 2006-03-25 00:35
昨日は、炊き出しを中座して豊島区のボラセン主催の「ボランティアグループ・NPO交流のつどいinとしま」にTENOHASIから4人が出席しました。 豊島区にもNPOがたくさんあって、認定法人だけで150もあります。(TENOHASIは認定法人ではありません。法人化するメリットがないので・・)。この日は、19の団体と、個人が10人くらいで、合計50人くらいが参加しました。 最初は、東京ボランティア・市民活動センター所長さんのお話。続いて交流会になり、4グループに分かれて1時間交流しました。TENOHASIのメンバーは3カ所に分かれ、持参した「物資をを置くスペースを探しています」というチラシと越冬報告、さらにこの日のために作った名刺をまきました。 交流会自体は1時間しかなかったので、自己紹介と若干の質疑だけで終わりましたが、そのなかでいろいろな人と出会うことができて、なかなか有意義でした。南公園からすぐ近くの方もいらして、これから交流していきたいと思います。今後もこういう機会があったら参加したらいいと思います。交流会を終えて南公園に戻ってきたら配食は終わっていて、炊き出しを食いっぱぐれたことだけが心残りでした。昨日のはまた格別いい味出してたと評判ですよ、料理長。 by SE #
by tenohasi
| 2006-03-12 22:58
昨日炊き出し、医療相談に参加された皆様、ご苦労様でした。 1月の第4土曜日から、5回連続して配食に、並ばれる方が250名を超え十分な量を、提供出来ているか、不安に思っています(作れる量は限界なんですけど・・・)。 人が増えることは良い事だとは思っていませんが、(他の地区の炊き出しに並ばれる方は減っているので、全体の人数は、減っているはずなんですが)、医療相談、お茶会と充実した内容を見ると人が増えるのは仕方がないかなぁと思えてしまいます。しかし、毎回遠方から来られる方が、多いのには、驚かされます。 そして、毎回新しくお手伝いしていただける方が増えている事には、感謝しています。 料理長 #
by tenohasi
| 2006-03-12 16:19
| 料理長のぼやき
私達、路上で生活を営む者にとって、日本国憲法25条1項の「生存権」は、最低限度の「生活保障」というより、生物としての「生存保障」という、つまり命が保障される権利という意味合いの方が強い。しかしその「最低生存保障」ということでさえ守れていない現実が、最近私の身近なところで起きている。そのことに深い悲しみと怒りが胸の奥から込み上げてくる。路上で亡くなられた方の中には、直接最期に関わった人と親族の方以外には知られることもなく、マスコミからも日常的に起きていることとして、問題にもされず、報道の対象にはならない。だが「最低生存保障」さえ守ることが出来ていない社会の現実を冷静に考えてみれば、大変に恐い社会になりつつあるという認識を持つべきではないだろうか。「人間の命の保障」が出来ない。そういうことが日常的にある。それは日常的にあるから問題にならないのではなく、日常的に起きているから問題なのだと考える方がノーマルではないか。 本来、人権とは国家が制定する法律よりも先にあり、国家はその人権を守るために存在する。その人権が踏みにじられている社会は、国家の危機ともいえる。それに気がつかない社会はアブノーマルだと私は思っている。 人権よりも、競争に勝つことを優先させた社会。人権よりも、街の美化・浄化・機能が大切にされる社会。そのような社会が、まともであるはずがない。これは社会の病理現象である。 地域社会も寛容さを失い、ホームレスは単なるゴミ・異物として、人間の身体の免疫反応のように排除を始める。以前、若者たちが「社会のゴミを退治する」と言って、ホームレスを襲った事件があった。ゴミとは不要物であり、退治するとは社会に害を与えるものを殺して排除するという意味である。彼らにとっては正義の味方のつもりで「天誅」でも加えている気分なのであろう。この様な風潮は社会の病気であると断言しても、差し支えあるまい。 この差別的/攻撃的な考えが、社会を代表するものだとまでは思わないが、かなりの人々がこの考え方に近いものを持っているのではないかと感じることが多々ある。このような考えに近い者が、救急医療従事者の中にも、ごく一部ではあるが存在している。一刻を争う状況の中で、ホームレスが患者としてそういう人に出会ってしまったら、それは死に直結する。不運では済まされない深刻なことである。 国家が人権を守る能力を失ったとき、それは日本国民全体の人権が守られないことを意味する。私はこのような社会の風潮に、日本の未来に対しての恐怖や危機感を感じる。皆さんはこのことをどのように考えておられるのであろうか?ご意見を伺いたい。 (路上のコラムニストX) #
by tenohasi
| 2006-03-09 17:12
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