ホームレス排除の意識構造を考える

「ホームレス」という言葉は、たんに「生活状態」を意味するだけではなく、その中には様々な差別的概念が含まれている。十分な根拠を持たない、否定的な、歪んだイメージによって意識が作られ、さらにその意識が「ホームレス」という言葉の中で、差別的思想となって増幅していく。それが彼等を被差別者集団としてカテゴリー化し、彼等が望む社会的に平等な待遇を拒否することにつながっていく。社会ではすでに「差別用語」として機能している。
その言葉は世界的に通用し、定着しているのだが、言葉によって差別が助長されているという側面を認めつつも、他に替る言葉がないために問題となる事はない。事実「ホームレス」と呼ばれるだけで、社会からは否定的イメージで捉えられ、異質なものとして、忌避・排除・いじめ・攻撃の対象となっている。
そこでは市民社会を構成する人間としても認められてはいない。さらに、社会的なあらゆる諸権利、機会が剥奪され、「社会的無権利状態」におかれる。彼らは差別的思想の集団の前では、人権を持つ人間としては扱われず、社会に害を為す無用な異物として、感情的に攻撃または排除されてゆく。
 現代社会の日常の中で蓄積される個人的・社会的な様々なストレスが、差別感情のエネルギー源となっているのではないだろうか?欲望を煽り、消費を煽る資本主義の社会構造の過程で、充足が満たされなかった結果発生したフラストレーションが、社会的弱者への憎しみや敵意に転化し、攻撃的な差別感情となってホームレスに向けられる。本来の不平不満の「スケープゴート」となって、怒りや敵意をぶつける格好なターゲットになっていく。
若者たちはストレートに差別感情に基づいた攻撃行動に出るが、大半の大人たちは自らは手を下さずに、行政を動かして自己中心的排除行動に出ることが多い。大人たちもホームレスに持っている非好意的な差別の意識に、本質的な差異はなく、より陰湿なものになっている。間接的に行われる差別行動は、個人の社会的責任や罪悪感を薄める効果があり、視野狭窄的に排除行動が正当化されていく。
ホームレスが「生きたい」・「人生を楽しみたい」・「社会に復帰したい」という人間として前向きな希望は、社会のフラストレーション発散のパワーの前では簡単に押し返され、破壊される。深い穴の中に落ちてしまった人間に例えれば、社会は梯子やロープも与えずに「上がって来い!なまけ者!乞食!」と罵声を浴びせかける。行政が投げ入れてくれる梯子やロープは少なく、一度失敗すると再挑戦の機会は失われる。穴を上りきる体力・気力のある者はわずかであり、大半は穴の中に取り残され、暗い穴の中で人生を終える。
日本という国は福祉の充実した、人権が守られている社会なのだろうか??本当に病んでいるのはホームレスではなく、社会なのではないか? 行政が行う各種の適正化政策は、国家や住民の歪んだ思想を背景にして、社会的弱者をますます暗い穴の中に追い込んでいくように思えてならない。
 弱者排除が進んだ未来社会をイメージしてみれば、そこはすでに人々が支えあう社会ではなく、自らも弱者となったときに排除されるのではないかという恐怖感、不安感に脅える毎日がある。常に勝者の側にいなければならないというプレッシャーで、心が休まることはない。気を抜けば敗者となって、自分も排除されるのではないかという意識がいつもあり、その意識が連続的な緊張を生み出して、ストレスをさらに増大させていく。そのストレス解消の「スケープゴート」として、社会的弱者が攻撃され、排除されるという悪循環が、地獄のように繰り返されていく。
 そういう安らぎのない、笑いもない、人と信じあうことも、認め合うこともない、人々が互いに手をつなぎ支えあう姿の見えない社会。他者愛のない、自己愛だけの社会。福祉と対極にある世界とは、そんな所である。あなたはそういう社会を、本当に望みますか?
今、世界で、日本で、あなた達が住む町で、そういう恐ろしい社会が作られようとしているのかもしれない。物の豊かさのカゲで、そういう事が、目に見えない所で起きている。一般国民が感じ取れないところで進んでいる。社会的弱者はその事を身をもって、痛みを伴って感じている。社会の病理は社会的弱者に、現象として表れる事が多い。したがって弱者の叫びに耳を傾けることは、社会の病を直接感じ取ることになるのではないだろうか。
 ちょっと立ち止まって、深呼吸をして、空を見上げて、優しい気持ちになって、社会の自分のまわりにいる様々な弱い人たちに、一声かけて話を聞いてみることが、世直しの第一歩になるのではないか。私は最近そういう考え方をするようになって来ている。

(路上のコラムニストX)
# by tenohasi | 2006-03-25 00:35

NPO交流のつどいinとしま

昨日は、炊き出しを中座して豊島区のボラセン主催の「ボランティアグループ・NPO交流のつどいinとしま」にTENOHASIから4人が出席しました。
 豊島区にもNPOがたくさんあって、認定法人だけで150もあります。(TENOHASIは認定法人ではありません。法人化するメリットがないので・・)。この日は、19の団体と、個人が10人くらいで、合計50人くらいが参加しました。
 最初は、東京ボランティア・市民活動センター所長さんのお話。続いて交流会になり、4グループに分かれて1時間交流しました。TENOHASIのメンバーは3カ所に分かれ、持参した「物資をを置くスペースを探しています」というチラシと越冬報告、さらにこの日のために作った名刺をまきました。
 交流会自体は1時間しかなかったので、自己紹介と若干の質疑だけで終わりましたが、そのなかでいろいろな人と出会うことができて、なかなか有意義でした。南公園からすぐ近くの方もいらして、これから交流していきたいと思います。今後もこういう機会があったら参加したらいいと思います。交流会を終えて南公園に戻ってきたら配食は終わっていて、炊き出しを食いっぱぐれたことだけが心残りでした。昨日のはまた格別いい味出してたと評判ですよ、料理長。

by SE
# by tenohasi | 2006-03-12 22:58

炊き出しご苦労様でした

昨日炊き出し、医療相談に参加された皆様、ご苦労様でした。

1月の第4土曜日から、5回連続して配食に、並ばれる方が250名を超え十分な量を、提供出来ているか、不安に思っています(作れる量は限界なんですけど・・・)。
人が増えることは良い事だとは思っていませんが、(他の地区の炊き出しに並ばれる方は減っているので、全体の人数は、減っているはずなんですが)、医療相談、お茶会と充実した内容を見ると人が増えるのは仕方がないかなぁと思えてしまいます。しかし、毎回遠方から来られる方が、多いのには、驚かされます。
そして、毎回新しくお手伝いしていただける方が増えている事には、感謝しています。

料理長
# by tenohasi | 2006-03-12 16:19 | 料理長のぼやき

「生存権」を社会に問う

私達、路上で生活を営む者にとって、日本国憲法25条1項の「生存権」は、最低限度の「生活保障」というより、生物としての「生存保障」という、つまり命が保障される権利という意味合いの方が強い。しかしその「最低生存保障」ということでさえ守れていない現実が、最近私の身近なところで起きている。そのことに深い悲しみと怒りが胸の奥から込み上げてくる。路上で亡くなられた方の中には、直接最期に関わった人と親族の方以外には知られることもなく、マスコミからも日常的に起きていることとして、問題にもされず、報道の対象にはならない。だが「最低生存保障」さえ守ることが出来ていない社会の現実を冷静に考えてみれば、大変に恐い社会になりつつあるという認識を持つべきではないだろうか。「人間の命の保障」が出来ない。そういうことが日常的にある。それは日常的にあるから問題にならないのではなく、日常的に起きているから問題なのだと考える方がノーマルではないか。

 本来、人権とは国家が制定する法律よりも先にあり、国家はその人権を守るために存在する。その人権が踏みにじられている社会は、国家の危機ともいえる。それに気がつかない社会はアブノーマルだと私は思っている。
人権よりも、競争に勝つことを優先させた社会。人権よりも、街の美化・浄化・機能が大切にされる社会。そのような社会が、まともであるはずがない。これは社会の病理現象である。
 
 地域社会も寛容さを失い、ホームレスは単なるゴミ・異物として、人間の身体の免疫反応のように排除を始める。以前、若者たちが「社会のゴミを退治する」と言って、ホームレスを襲った事件があった。ゴミとは不要物であり、退治するとは社会に害を与えるものを殺して排除するという意味である。彼らにとっては正義の味方のつもりで「天誅」でも加えている気分なのであろう。この様な風潮は社会の病気であると断言しても、差し支えあるまい。

 この差別的/攻撃的な考えが、社会を代表するものだとまでは思わないが、かなりの人々がこの考え方に近いものを持っているのではないかと感じることが多々ある。このような考えに近い者が、救急医療従事者の中にも、ごく一部ではあるが存在している。一刻を争う状況の中で、ホームレスが患者としてそういう人に出会ってしまったら、それは死に直結する。不運では済まされない深刻なことである。
 
 国家が人権を守る能力を失ったとき、それは日本国民全体の人権が守られないことを意味する。私はこのような社会の風潮に、日本の未来に対しての恐怖や危機感を感じる。皆さんはこのことをどのように考えておられるのであろうか?ご意見を伺いたい。

(路上のコラムニストX)
# by tenohasi | 2006-03-09 17:12

「いいです、大丈夫ですから」

 今日はおにぎり隊&夜回り。今夜も、たくさんの人が来てくれました。
 おにぎりを配り終えて、しばらく情報交換(雑談とも言う)をしたあと、いつも通り3方向に分かれて夜回りを開始しました。一番人数の多い池袋駅構内(駅ナカ)を回ると・・・
 先々週、ダニやシラミでお困りだった方。その次の炊き出しの時に新しい衣類をお渡しし、先週はおにぎり配りの時に元気にみんなを仕切ってくれていたのですが、今週は疲れ果てていました。「先週は元気だったじゃないですか「ありゃ空元気だよ。空元気でも出さなきゃやってられっか」。食物が喉を通らず、食べても吐いてしまう。どんどんやせてきた、自衛隊にいた頃は60キロあった体重が今は30キロ台・・。問わず語りで話してくださいました。病院に行きましょう、と提案しても「行く気はない」。そうおっしゃる背景には、きっと私の想像を絶する様々な思いがあるのでしょう。
 いろいろな方のところで話し込んだので、1時間近くたっても夜回り開始地点から50mも進めません。駅構内をくまなく回るために二手に分かれようとした矢先、「あの人が足にけがをしているから見てやってくれ」とある路上生活の方から言われました。見ると、地下鉄の電話コーナーの脇でうずくまっている人が。近寄ってみると、右足には膿のしみ出たタオルを巻いて、右足小指付近にはぱっくり傷口が開いていました。左足もかなりむくんでいます。看護師の卵Sさんの診立てでは、足のけがに加えて体に水がたまっており、水がたまるのは足のけがが原因ではなくく内科的な原因があると考えられるそうです。「病院に行きましょう」と言っても目を合わせてくれず「いいです。大丈夫ですから」の一点張り。せめて傷口の消毒を、と思いましたが、飲み薬しか持ち合わせがありません。それに、それは医療行為になるのでしてはいけないのだそうです(誤解があったら誰か訂正してください)。ご本人がいいとおっしゃる以上、それ以上は何もできません。3日後の炊き出しの時に医療相談があるからぜひ来てください、と話して立ち去ろうとしたときに、JRのガードマンから「ここは駄目ですよ。ほかにいって」と追い立てを食って、その方は痛む足を引きずりながら移動されていきました。
 おふたりとも、もし自分だったら、びっくりして即病院に駆け込むだろうと思う症状です。住所と仕事があり、家族がある人ならば即入院でしょう。それなのになぜ病院行きを拒否されるのか。路上生活であることで過去に病院で辛い目に合われたのか、鬱がひどくて病院という煩わしい場所に行く気力が出ないのか、それとも名前を聞かれるような場所に行きたくない事情があるのか、ご本人のキャラクターによるものか、私にはわかりません。
 でも、とにかく、ひとたび路上生活に入ると、それまで普通に利用できていた行政・医療サービスが経済的にも心理的にもとてつもなくハードルが高いものになってしまうということが私にもわかってきました。
 どうしてか?たとえば鬱病で働けない人はたくさんいます。住所があって保険証があり、支えてくれる人が居れば、休職して通院または入院し傷病手当金を受けて回復を期すことができます。でも、同じ症状の人がひとたびそれらを失って路上に出てたら、その瞬間にその人は社会の「邪魔者」とされ、当たり前の人権が保障されない別の身分にされてしまうのです。江戸時代に、人別帳から外れた人が「無宿者」に落とされて差別されたように。ついこの前まで働いていて税金も社会保険も払っていた人でも、「税金を食いつぶす厄介者」とみなされて、ろくな治療も受けられずに、冷たい言葉を投げつけられて放り出されるという例があとを絶ちません。
 そのような社会の眼が、路上生活当事者に大きな心理的圧迫を加えて、「ホームレス」になった自分を恥じたり病院で屈辱的な扱いを受けることとを拒否する心理から、病院に行くことを拒み、悪化させて取り返しのつかない状態にしてしまう悪循環を生み出しているように感じます。
 不安定でストレスフルなこの社会では、誰でも失業・家庭崩壊・鬱病などの可能性があります。もしそこにはまって、路上に放り出されれば、待っているのはこんな世界。これが私たちの社会。

 by せ
 
 
# by tenohasi | 2006-03-08 23:38 | 日々の活動

本月の定例会

こんにちは皆様。会計とは名ばかりのほーりーです。(自虐笑) 昨日は定例会議がありました。11項目にわたることが議論されました。いろいろ話された中でブログもみんなで変わりばんこに書いて行こうということになり、切りこみ隊長です。^-^

 さて、さて、昨日はこの地域に住んで数十年という超地元民の方にも呑み会までいらしていただき親睦を深めるなど、地域との密着を着々と進める一方、退職される方の問題など話し合われました。

 まずは、Aさんの葬儀に参列の件について説明がありました。皆様からの暖かい援助により交通費・お香典が集まりそうな気配です。ありがとうございます!
 会員制度についても話し合いがありました。これでおおよそは結論が出たものだと僕は思いました。が、総会で採決をとりたいと思います。
 また、前回の炊き出しの後にゲストがきてくださり、飲みながら貴重なお話を聞かせてくださいました。みんなに大好評ということで、定期的の学習会やったらいいのでは?など、様々な提案が話し合われました。緊急の件から総会にまで関わることなど多岐にわたりましたが無事終わり最後は通称じぃ(おっとーとも呼ばれる)のファンがいるという飲み屋でパーとやりました♪お世話になりました<(__)>
# by tenohasi | 2006-03-06 12:48 | 日々の活動

何が起こっているの??

先日の話です。TENOHASIの活動日ではないのですがたまたまいつもの公園に立寄ったところたくさんの方にあの人どうにかしてほしいという話があり、どんな様子か伺うと、その方(Aさん50代男性)は、南公園の片隅に座り込み、体を震わせていらっしゃいました。薄いジャージと下にシャツ一枚着ている程度で、全身冷え切っている様子でした。手足はむくみ、パンパンで、氷のように冷たかったです。

何を聞いてもご本人がほとんど頷く程度の返事をされるため、状況がよくわからなかったのですが、公園の住人の方のお話によると、この方は3日くらいここに座り込んだままで、雨が降ってもそのまま座ったままだった、ということでした。誰かがその日配っていたおにぎりを差し上げたようですが、少しだけ食べたようでした。

話ができなかったのは、ずっと食べていない、休息がとれていない、身体が冷え切っている、という衰弱しきった状況からだったのでしょうか。

ちょっとずつお答えいただいた範囲でわかったことは、お名前と年齢、そして状態として、動けないということ、頭が痛いということ、気持ちが悪い、ということ、2週間何も食べていなかったということ、でした。
救急車を呼んだほうがいいですか、と伺ったら、頷かれたため、救急車を呼びました。


ぶるぶると全身震わせ、表情もこわばり、どんな質問もうなずいたり、ときどき少しの単語を口にされるだけで的を得ず、救急隊も苦戦していましたが、I病院に運ばれることとなりました。

救急隊の方の何人かは、質問に答えられないことにため息をついたりどうして返事しないのー?と笑ったりしながら「状況がわからないのに救急車を呼ばれても困る」と言ったり、「ただおなかがすいているだけではないか。 それくらいで救急車を呼ばれても困る」と言ったりしていました。「2週間食べていない」という話には「そんなことあるはずがない。」とあざ笑って否定していました。


病院に着いたら、体温を測ろうとしましたが、体が冷たく、体温を測ることができませんでした。
今回は診察室には入れてもらえなかったので、どんな対応をされたのかわからなかったのですが、状況がよくわからないから、と「頭が痛いと言っているらしいので」「とりあえず」痛み止めと胃薬を出されて、帰されてしまいました。
耳から採血をしていました。(これも大いなる疑問点のようです)
救急隊の方に後はよろしく、と言われてしまい、全身震わせていて、まともに歩けないAさんの肩を支えてとりあえず病院を後にしましたが、もうすっかりあたりは暗くなっていて、気温も下がってしまっていましたし、土曜日の晩でしたので、区役所があくまでにまだ2日ありましたので、どうしたらよいのかわからず、途方にくれてしまい、悔しさと戸惑いから涙が止まらなくなってしましました。
見ると、Aさんの目からも涙が流れていました。
泣いている場合ではないな、とわれに返り、とりあえず暖をとろうと思い、ゆっくりいることができそうな喫茶店に向かいました。
その途中であったかい缶ジュースを飲んでいただき、喫茶店に入り、暖かい紅茶とサンドイッチをAさんに食べていただいたり、氷のように冷たくなった手をマッサージしたりしていました。手はだいぶぬるくなりました。
そうして暖まってもらっているうちに、TENOHASIスタッフや他団体の方に電話させていただき相談させていただきました。
IMAシェルターを利用させてもらい、月曜日に福祉を通して病院の外来にかかることが一番よいかなと思っていたのですが、IMAに連絡がとれませんでした。
いまさん(仲間の支援者)が駆けつけてくださって、ご本人とも相談した結果、近くのカプセルホテルにとまっていただいくことがいい、ということになりました。
宿泊費は、IMA緊急シェルターの「IMA基金」を使わせていただこうと思いました(こちらは事後報告でよいという了承をいただいています。)
そしてこのとき、suiさんが喫茶店まであたたかい服を届けてくれました。

いまさんと二人でAさんのお体を支えながら近くのカプセルホテルまで向かいましたが、近くまで来たときにはAさんの体の震えは強くなり、呼吸も荒くなり、涙をぽろぽろ流されて足取りもよりふらふらしてしまっていたため、やっぱり救急車をまた呼んだほうがいいね、ということになりました。

こちらの救急車にはいまさんが付き添ってくださり、わたしは帰らせていただいたのですが、聞いた限りでは、親切に対応してくださったようです。

体温が低いことを救急隊の方も、受け入れ先となったY病院のお医者さん、看護師さんも「危ない状態だった」と言っていたそうです。
あれだけ暖まってもらったのにY病院に着いた時点で体温が32℃しかなかったそうです。入院となり、暖まって落ち着いたら検査をしましょう、ということになりました。


驚いたのは、お体を支えて歩いていたとき、Aさんの肩やわきの下、胸などに触れたときに、薄いジャージの下の肌の体温がひんやり冷たいのがわかったことです。どんなに気温が低く、指先が氷のように冷たくなっても、肩や胸の辺
りまで冷たくなってしまうことは初めてで、その冷たさを感じたときになんとなくぞっとしました。

悔しいともつらいとも口にすることができずにぽろぽろと涙をこぼしていたAさんのお気持ちは計り知れない、と思いました。
あんなに薄着で、小さい手提げしか持っていないAさんはいったいどんな背景の方だったのでしょうか。。


そして、入院して、約1週間・・ひたすら眠り続けていたAさんは、お亡くなりになりました。
無念でなりません。こころから、ご冥福をお祈りします。



病院には病院の事情があり、救急隊には救急隊の事情はあるでしょう。
事実、病院から帰されてしまう衰弱した「ホームレス」状態の方に対し何もできないというこころの葛藤を救急隊の方に打ち明けられたこともあります。

Aさんの死を静かに見守りたい気持ちが山々なのですが、あえてこんな書き込みをしたのは、誰かを糾弾することが目的なのではなく、どうしたら、こんなことが起こらずにすむのか、問題提起をしたいと思ったからです。

どうか、今後このようなことが起こらないことを強く望みます。

(az)
# by tenohasi | 2006-02-28 13:44 | 日々の活動

炊き出しにまたまた300人

今日は炊き出し。
まず初めに、高田馬場の新宿連絡会の事務所まで車で米と調理器具を取りに行きます。9時に着く約束でしたが、今日は渋滞で15分遅刻。
 公園に行くと、もういつものメンバーが準備を始めていました。今日は新人のKさんが初参加。みんなで道具を洗い、米をとぎます。
 2時20分からミーティング。Kさんのほかにお茶会にも初参加メンバーが。自己紹介をして、お茶会が始まりました。この日はスタッフが15人くらい、参加者がやはり15人くらいと大盛況で、座る場所が足りませんでした。
 そのころ、炊き出しにも最近参加してくれたメンバーが続々合流。
 医療班も活動を初め、たくさんの人が相談に来ました。風邪の人・ダニに苦しんでいる人(この前の夜回りでお会いして、今日あうことを約束した人です)等には薬や服をお渡しし、必要な人にはドクターが病院への紹介状を書いて、福祉につなげます。やりたい仕事に就けなくて悩んでいる人には福祉行動のスタッフが相談に乗りました。
 炊き出しは今日も300人を超えました。全都的に路上生活をしている人は減っているはずなのに、どうしてこんなに集まるのか?とても喜んではいられません。

 片付け・ミーティングのあと「パレスチナで3年助産婦をしていたHさんに話を聞く会」を近所の居酒屋で開きました。パレスチナの人々の絶望は、ゲットーに閉じこめられたユダヤ人に匹敵すると言うことが実感的にわかりました。こういう会をまたやりたいと思います。

 来週の日曜日は、6時から西池袋第2区民集会室 (豊島区西池袋3-8-20)で3月の定例ミーティングを行います。
TENOHASIに関心を持つ方ならばどなたでも参加できます。今回は代表が旅行で不在なので、みんなでたのしく悪口を言ってストレスを解消しようと思います(と料理長がいっていました)。終了後には飲み会も企画していますので、まじめな会議だけじゃちょっと・・・と言う方もふるってご参加下さい。参加できる方はメールをお願いします。もちろんアポなし参加もOK。

by s
# by tenohasi | 2006-02-25 23:34 | 日々の活動

夜回り

夜回り。
今夜も先週に続いてたくさんのスタッフが集まりました。ありがとうございます。
駅ナカでは・・・
 みんなでチューハイを傾けている人たち。
 シラミに苦しんでいる路上生活のベテランは、虫を見せてくれた。びっくりするほど大きい。
 昨日、カレーうどんを食べてからずっとおなかが痛い人。心配だけれども、救急車は呼ばなくていい、とのことなので、気休め程度の薬をお渡ししました。やっぱり心配です。
 賃金不払いが解決したけれど、力仕事はやりたくない。食品加工の仕事をしたいけれど、耳が悪くて雇ってくれない・・・と嘆く若い人。
 いつも同じところにいらっしゃる女の人。おにぎりをお渡しすると、ちょっとだけ微笑んでくれます。
 この日も12時近くまでかかりました。毎回12時はちょっと大変なので、出発を早くしましょう。

それにしても、一人一人個性も事情もかかている問題も違います。
金も力もわずかしかない私たちにできることはわずかです。
いったい私たちは何をしたらいいのか、? 何をすべきでないのか?

by s
# by tenohasi | 2006-02-22 23:14 | 日々の活動

夜回り隊のパワーアップ

遅くなりましたが、先週15日の夜回りの報告を・・・

 仕事が伸びて池袋駅みずほ銀行ATMに着いたのが9時45分ごろ。もうおにぎり配りは終わっているはずなのに、なぜかまだ黒山の人だかり・・・と思ったら、おにぎり&夜回りの参加者でした。
 1月に再開した夜回りは、レギュラーメンバーと言うべき人が8人くらいいます。といっても全員が揃うことは余りありません。そのとき集まったメンバーが駅ナカ・東口・西口の3班に分かれて夜回りをしています。出会った一人一人に声をかけて、ホカロンや残ったおにぎりを配り、薬を配り・・・かぜ薬のいいのがないのが悩みですが・・・特に支援が必要な人(前回の日系ブラジル人の人など)には何ができるかを考え、お話しします。いままでは、だいたい、東と西に二人、駅ナカに3人という構成なのですが、この日は初めて参加された人も含めて、女性3人・男性10人(たしか)という大人数。駅ナカは、何と6人で回ることになりました。
 そしてこの日は、久しぶりにたくさんの人とじっくりお話をしました。若い人・初めてあった人・いつも同じところにいる女の人・みんなの面倒を見ているちょっと強面の人,ずっと探していた人、etc・・・前回お会いした日系ブラジル人の方は、在日ブラジル人のネットワークと連絡が付いたのか「帰ることにした」と言っていたそうです。あえなかったのが残念ですが、路上を脱するめどがついたならば万々歳です。
 いろいろな方をおしゃべりをして、夜10時に始まった夜回り駅ナカ班の活動が終わったのは12時近く。時間はかかったけれど、充実した夜回りになりました。
 まだ夜回りデビュー前の皆さん、ぜひ水曜の夜は池袋駅東口みずほ銀行ATM前に来てください。

せーの
 
# by tenohasi | 2006-02-21 00:41 | 日々の活動